イタリア時代 - ザンパリーニの下で
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「マリオ・サンターナ」の記事における「イタリア時代 - ザンパリーニの下で」の解説
2002年1月31日にSSCヴェネツィア移籍。同年3月24日に対アタランタBC戦にてセリエAにデビューする。その後3試合に出場を果たすも、同シーズンにセリエAに昇格したばかりのクラブは最下位に沈んでおり、そのままシーズンを終了しセリエBに降格することになる。この時期に、会長を務めていたザンパリーニがUSチッタ・ディ・パレルモの株式をASローマのフランコ・センシ会長から買い取り、パレルモのオーナーとなる。ザンパリーニは若手のサンターナをパレルモに連れて行くことを決め、サンターナ自身もセリエBに活躍の舞台を移した。パレルモに移籍すると出場機会が増え、2002-03シーズンは33試合に出場、3得点する。 2003年7月1日にサンターナは1年間のローンでACキエーヴォ・ヴェローナに移籍した。当時のキエーヴォはプロンヴィンチャのクラブとして快進撃を続けており、サンターナはステップアップを果たした。ルイジ・デルネーリ監督の下で戦術的にも成長し、2003-04シーズンはリーグ戦28試合に出場、セリエA初得点も含め計3得点した。これらの活躍から、シーズン終了後の夏にはキリンチャレンジカップ2004のメンバーとしてアルゼンチン代表に招集された。 シーズン終了後に1年のローンの期間を終え、サンターナ不在の中セリエA昇格を果たしたパレルモに再び呼び戻された。キエーヴォ在籍時にセリエAで通用することを証明したサンターナは、レギュラーとして昇格後のチームに貢献した。2シーズンでリーグ戦に58試合に出場し、3得点する。2006年3月16日に行われたUEFAカップの対シャルケ04戦において、3番目の腰椎を骨折する怪我を負い2ヶ月間の離脱を余儀なくされた。リーグ戦の最終戦に復帰することができたが、この怪我により2006 FIFAワールドカップの代表メンバーには落選することになった。
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