イタリア時代とは? わかりやすく解説

イタリア時代(1600年 - 1608年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/31 09:16 UTC 版)

ピーテル・パウル・ルーベンス」の記事における「イタリア時代(1600年 - 1608年)」の解説

1600年古代と近代巨匠作品現地で学ぶことを目的として、ルーベンス推薦状携えてイタリアへ向かった最初に訪れたのはヴェネツィアで、ティツィアーノヴェロネーゼティントレットらの絵画を目にしている。その後マントヴァ向かいマントヴァ公ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ宮廷迎えられた。ヴェロネーゼティントレット色彩感覚作品構成は、当時ルーベンス作品即座に影響与え後年になって円熟期迎えたルーベンス作品にはティツィアーノからの大きな影響見られるマントヴァ公からの金銭的援助受けたルーベンスは、モンタルト枢機卿への推薦状を手に1601年フィレンツェ経由してローマ訪れたローマで古代ギリシア古代ローマ芸術作品触れイタリア人芸術家たちの作品模写務めている。とくにヘレニズム様式彫刻ラオコーン像』や、イタリア・ルネサンス巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロ作品ルーベンス大きな影響与えたまた、当時ローマ画壇最先端だった画家カラヴァッジョ作品が持つ高度な自然主義表現にも影響受けた。後にカラヴァッジョの『キリストの埋葬』の複製画制作したほか、マントヴァ公からの依頼受けて、現在はパリルーヴル美術館所蔵するカラヴァッジョの『聖母の死英語版)』の買い付け手配したまた、アントウェルペンドミニコ会修道院による、現在はウィーン美術史美術館所蔵するカラヴァッジョの『ロザリオの聖母』の購入にも協力している。ルーベンスはこのローマ滞在時にサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂からの依頼で、最初祭壇画『聖へレナ聖十字架』を完成させている。 ルーベンス1603年に、マントヴァ公からスペイン王フェリペ3世への贈答品携えた外交官としてスペイン訪れたルーベンスはこのスペイン滞在中に先代スペイン王フェリペ2世収集したラファエロティツィアーノ膨大な作品群を目にしている。このスペイン滞在中にフェリペ3世重臣レルマ公フランシスコ・ゴメス・デ・サンドバル・イ・ロハス (Duke of Lerma) を描いたレルマ公騎馬像』には、ティツィアーノ傑作カール5世騎馬像』などの作品からの影響見られる。このスペイン訪問が、その後ルーベンス果たしていく外交官としての最初役目となったルーベンス1604年イタリアへ帰還しその後4年間でマントヴァジェノヴァローマ転々とした。ルーベンスはこの時期に『ブリジーダ・スピノラ=ドリア侯爵夫人』などの肖像画多数制作しており、マリア・ディ・アントーニオ・セッラ・パッラヴィチーニを描いた肖像画は、後世画家アンソニー・ヴァン・ダイクジョシュア・レイノルズトマス・ゲインズバラらの作品にも影響与えた1606年から1608年にかけてはほとんどの時期ローマで過ごした。このときに、ルーベンス肖像画描いたマリア・パッラヴィチーニの兄にあたる枢機卿ヤコポ・セッラの尽力もあって、当時ローマで新築された教会キエーザ・ヌオーヴァ(サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂)の主祭壇画制作という重要な依頼受けている。この祭壇画には、古のローマ教皇グレゴリウス1世ローマにちなむ聖人たちが、天使掲げ聖母子肖像を見つめている場面描かれている。祭壇画最初ヴァージョンは、現在グルノーブル美術館所蔵する一枚キャンバス描かれたものだったが、間もなく3枚石板描き直したものに置き換えられた。現在もキエーザ・ヌオーヴァに安置されている、サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラで起こったといわれる奇跡描いたこの祭壇画は、重要な祝祭日にのみ銅製カバー外され一般に公開されている。 イタリアで経験は、その後ルーベンス作品影響与え続けた後年になってイタリア離れてからも、イタリア知人たちと多く書簡交わしており、イタリア名の「ピエトロ・パウロ・ルーベンス (Pietro Paolo Rubens)」として署名しイタリアへ戻ることを強く望んでいることを書き綴っているが、ルーベンスイタリア帰還叶うことはなかった。 『パリスの審判』(1601年頃)ナショナル・ギャラリー(ロンドン)キリストの埋葬』(1602年ボルゲーゼ美術館ローマ) 『パエトンの墜落』(1604年 - 1605年頃)ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.) 『ブリジーダ・スピノラ=ドリア侯爵夫人』(1606年)ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.) 『聖ゲオルギウスと竜』(1606年 - 1608年頃)プラド美術館マドリード『羊飼いの礼拝』1608年頃)聖パウルス教会アントウェルペン

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