イタリア方面軍司令官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 21:47 UTC 版)
「ジャック・フランソワ・デュゴミエ」の記事における「イタリア方面軍司令官」の解説
1793年9月には、ニースとピエモンテからオーストリア軍を追い払った。 11月、デュゴミエは国民公会から派遣されたカルトー将軍に代わって、トゥーロン奪回の任務に就く。彼はそこで、街を奪還するための作戦として部下の少佐の案を採用した。この作戦を進言した砲兵将校こそが、後のフランス皇帝、ナポレオン・ボナパルトである。作戦は成功し12月18日にトゥーロン奪回に成功した。(トゥーロン攻囲戦) ナポレオンはデュゴミエを「勇敢かつ豪胆で、鋭い戦略眼を持っている。ただし恐ろしく短気であった」と高く評価しており、晩年、セント・ヘレナ島でも彼のことを回顧している。さらに遺産から彼の息子か孫に10万フランを払う様、遺言を残してもいる。
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