スクーデリア・イタリア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:44 UTC 版)
「J.J.レート」の記事における「スクーデリア・イタリア時代」の解説
1991年はスクーデリア・イタリアに移籍、初のフル参戦を果たした。この年チームに課された前半8戦の予備予選を全て通過、そのうち4回をトップで通過するなど安定した速さを見せた。第3戦サンマリノGPでは、マクラーレン以外の上位チームが総崩れとなる展開の中、予選16位から3位に入りキャリア唯一の表彰台に立った。同様に上位チームが多数リタイヤした第5戦カナダGPでも、一時4位を走行するが、このレースではリタイヤに終わっている。サバイバルレースで見せ場がなかったわけではなかったが、シーズンを通じてマシンの信頼性の低さに苦しみ、16戦中11回のリタイヤを喫している。 翌1992年も残留。信頼性が増し完走は増えたものの、反面速さ不足のマシンに苦しみ、平均予選順位は前年より下がっている。チームメイトのピエルルイジ・マルティニは2ポイントを獲得したが、レートは最高位7位とノーポイントに終わった。
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