心の哲学とは? わかりやすく解説

心の哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 15:21 UTC 版)

物理主義」の記事における「心の哲学」の解説

当節では心の哲学の領域における物理主義主張について概説する。 心の哲学において、20世紀初頭にまず心は物理的であるか、という問題論じられた。物理主義的な立場から実体二元論的な考え批判されデカルト的な心についての考えが「機械の中の幽霊」といった形で批判受けた20世紀中盤志向性問題論じられた。志向性物理主義的に扱うことができるのか、という問題論じられた。 20世紀末ごろからは、心の哲学の分野主要な争点が、「意識」に移ったコリン・マッギン新神秘主義デイヴィッド・チャーマーズ自然主義的二元論など、世界全て法則に従う自然的なのである主張しながら物理主義攻撃するタイプ二元論現われてきた。つまり世界全て法則に従う自然的なのであるという点で物理主義と軌を一つしながら現在の物理学枠内では現象意識クオリア問題扱えない、という形で、物理主義対立する二元論現われてきた。こうした対立図式の中では、旧来物理主義呼ばれてきた立場は単に唯物論の意味しか持たない。そのため日本語圏訳書ではphysicalismの立場物的一元論表現されることもあるし、ガレン・ストローソンのように現代物理主義物理主義というより物理学主義(physicSalism)と呼んだほうが適切だ、と主張する例も見られる物理的physical)なものとは何か、この定義によって物理主義立場どういうものかが決まることになるが、この点がハッキリ定義されることはあまりない。この定義次第で、物理主義はかなり広い範囲立場を含むことが可能である。例え極端な例として、ガレン・ストローソン一般に性質二元論または中立一元論分類される)のように、汎心論唱えつつ自身立場物理主義形容する事もある。 一般的には現在の理論物理学のなかに出てくるものの実在だけを認め立場物理主義なのだと考えておけばおおよそ間違いない。 つまり現代の心の哲学の文脈で言うと、意識の問題意識のハードプロブレムに関して存在論的に保守的な形で解決目指す立場が、物理主義である。 行動主義 同一説 機能主義 物理主義対す批判もっぱら現象的意識主観的体験クオリアなどと呼ばれる意識主観的側面について、物理主義範囲内ではうまく扱いきれないではないか、という点に集中するこうした議論の例として次のようなものがある。 コウモリであるとはどのようなことか 知識論証(「マリーの部屋」とも言う) ゾンビ論法 知識論法1982年フランク・ジャクソンによって提唱され論法で、この世界に関して全ての物理的な知識得たとしても、まだ知らない事が残ってしまう、だから物理主義誤りだ、という論証ゾンビ論法は、1996年デイヴィッド・チャーマーズによって提唱され論法で、物理的な側面に関して全く同一だが、現象的な意識を欠く世界想像できる、だから現象的意識物理的なもの論理的に付随しているわけではない、ゆえに物理主義間違っている、という論証

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心の哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 15:32 UTC 版)

ダニエル・デネット」の記事における「心の哲学」の解説

デネットはいくつかの場所(例えば『Brainchildren』の「Self-portrait」)にて、自らの哲学的プロジェクトオックスフォードでの学生時代からほとんどそのまま続いていると述べている。彼の主要な関心は、経験科学裏打ちされた心の哲学理論提出することにある。もともと、博士論文の『Content and Consciousness』において、彼は心を説明するという課題二分割して、内容理論意識理論両者必要だとしていた。このプロジェクト対すアプローチにおいても、この区分維持されてきた。『Content and Consciousness』が二部構成であったのと同様に、『Brainstorms』も2つセクション分けられた。後に、内容についていくつかの論文は『The Intentional Stance』にまとめられ意識についての見解理論的に統一されConsciousness Explained』に結実した。これらの著作おいて、デネット主張は最も広範に展開されている。 『Consciousness Explained』の第5章において、デネット意識多元的草稿モデル提案している。彼の説明によると、「あらゆる種類知覚――実のところあらゆる種類思考心的活動も――が脳内実現するときには感覚入力解釈推敲する複数プロセス平行して進められる神経システム入ってくる情報は、常に「編集」され続けている」(p. 111)。デネットはこうも述べている。「時間の経過伴って、これらは一つの物のようなまとまり持ち、それは脳内多くプロセスによって継続的に編集され続けると考えられる」(p. 135イタリック原文)。 内容生み出すという意識の性質一部を、進化によって説明することができる、というデネット関心がこの時点ですでに伺える。そして、以後このテーマ彼の研究プログラム中心に来ることになる。彼は神経ダーウィニズムとして知られる立場擁護するのであるまた、彼はクオリア否定する議論もしている。つまり、この概念あまりに混乱しているため、矛盾せずにこの言葉使用した理解することはできず、したがって物理主義対す有効な反駁とはなりえないという。デネット戦略は師であるライルから受け継いだものであり、一人称現象三人称言葉遣いで再定義し、その定義が一貫して使用可能ではないことを示すというアプローチとっていのであるデネット次のように自己認識している。「私が『こういったテーマ議論する際に哲学者標準的用い専門用語使用しない』ことがしばしば問題となっている、と他の哲学者述べている。彼らは、私が何を主張し何を否定しているのか、理解するのが困難だというのである。だがもちろん、私が彼らと同じ土俵上がらないのは意図的にそうしているのである。なぜなら、このテーマ用いられる標準的な言葉遣いは、役立たずであるどころか有害だ考えているからだ。それはあまりにも多く間違い含んでいるため、研究の進展妨げているのである」。 『Consciousness Explained』にて、「もちろん、私はある種の『目的論的機能主義者』である。おそらく、独特な意味での目的論的機能主義者である」と彼は認めている。また、「私は検証主義者であると告白する準備もある」とも述べている。

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心の哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:15 UTC 版)

中世哲学」の記事における「心の哲学」の解説

中世の心の哲学はアリストテレスの『霊魂論』、いわば12世紀西方ラテン世界に再紹介されもう一つ作品基づいている。心の哲学は自然哲学一分野とみなされていた。この分野で議論され問題のうちのいくつか: 神の光 - 神の光教義古く重要な自然主義代替物である。そこでは、人は普段ものを考える際に神からの特別の補助を必要としていると考えられている。この教義アウグスティヌスおよびスコラ学派のうちの彼への追随者にもっとも強く関係している。近世においてもこの教義別の形で再登場した。 論証の理論 心の表象 - 精神状態は「志向性」を持っているという考え;つまり、「精神状態であるにもかかわらず、それらは心の外部のものを表象することが可能である」というのは近代の心の哲学に固有の問題である。しかしそれは中世哲学起源をもつ(「志向性」という言葉フランツ・ブレンターノによって復活させられた。彼は中世用法表そうとした)。オッカムは、言語第一に慣習によって精神状態表し第二実在物を表すのに反して対応する精神状態は必ずそれらの実在するものを表すという理論提唱したことでよく知られている。 この分野の著述家としてアウグスティヌスドゥンス・スコトゥス、オートルクールのニコラトマス・アクィナス、そしてオッカムのウィリアムがいる。

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心の哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 19:32 UTC 版)

ジェグォン・キム」の記事における「心の哲学」の解説

キム研究者として心身問題にかかわる様々な理論擁護してきた。最初に擁護したのは一種同一説で、これは1970年代前半のことである。その後付随性大きな信頼を置く、非還元主義的な種類物理主義移行したその後さらに、心身問題解決するために十分な説明能力備えていないという理由で、物理主義批判転じた物理主義批判論証2つ最近の研究物理世界における心』Mind in a Physical World1998年)および『物理主義あるいはほぼ十分なもの』(2005年)などで読むことができる。キム考えでは、「物理主義そのままのかたちでは今後生き残ることはなであろう」。なぜならクオリア現象的ないし質的な側面から見た心的状態のこと)は物理的状態や物理プロセスには還元できないからである。「現象的な心的特性機能的に定義することは不可能であり、従って機能的に還元することもできない」。そして、「もしクオリアについて機能的還元うまくいかないのなら、他のやりかたはない」。ゆえに、物理主義表現することのできない心の側面というものがあることになる。 キム現在の立場は、志向的心的状態(例:信念欲望)は機能的に神経の働き帰結還元できるが、質的ないし現象的な心的状態(例:知覚)は非物理的かつ随伴現象的であり、神経の働きには還元できないという命題擁護するのである。従ってキム立場一種二元論擁護するのであるが、ただしキムはほぼ物理主義と言ってもよいと述べている。キム2008年韓国日刊紙中央日報』に掲載されインタビューでも、物理主義なにものにも代え難い最も包括的な世界観であると述べている。 キムはこのインタビューで、心は自然現象であって超自然的な説明行っても「謎が深まるばかり」なので、心については自然主義的な説明しなければならない述べている。心の本性についての説明は、哲学心理学よりも自然科学によって可能になるキム考えている。

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心の哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:14 UTC 版)

ジョン・サール」の記事における「心の哲学」の解説

心の哲学についてサール多数主張をおこなっている。サールによれば意識とは第一者(その意識所有し経験している当の本人)からによってのみ接近可能な存在論的で還元不可能な性質持っている。たとえば痛みという感覚挙げると、痛み誰か主観性によって感じられない限り存在せず、したがって存在論的な主観性持っているサールは、第三者から見て観察可能なデータのみを扱う行動主義機能主義のようなアプローチを、意識還元不可能性を無視する姿勢だとして批判している。例えダニエル・デネットによるヘテロ現象学のような姿勢は、意識の存在自体否定するものだとサールは言う。 サールによれば、胃が胃液分泌したり、植物光合成行ったりするように、脳の生物学的な条件によって意識生み出されるこのような立場は、生物学的自然主義(biological naturalism)と呼ばれることがある。 その一方でサールは、心と身体相互排他的なレヴェル存在しているとする伝統に対してサール批判的であり、心的物理的というようなカテゴリーはもはや廃棄すべきだと考えている。その一方では、脳と意識の関係を科学的に解明するにあたっては、意識のもつ存在論的で還元不可能な性質存在論主観性)を取り残さないことの必要性サール強調する意識は、統一された場(unified field)であるという性質を持つことを指摘したうえで、サール神経科学対しそのほうが、より効率的に意識の謎へ接近できるとして推奨している。

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