宗教教育衝突問題
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教育勅語渙発と同じ月、加藤弘之が国家学会雑誌に論文「国家と宗教の関係」を発表する。同論文に以下のようにいう(大意)。 神道は仏教や耶蘇(キリスト教)に比べて宗教として最も劣るから、仏教や耶蘇に圧倒されるのは当然である。神道がこのように圧せられるは日本の国体と大いに関係がある。神道は天皇の祖先や人民の功労者を祭るものだからである。将来、神道が宗教として耶蘇に圧倒されると、皇室の権威に関係するので事態は容易でない。このため、どこまでも従来のどおり神道を宗旨の外に置く必要ある。耶蘇教徒であっても天皇の先祖である神に拝礼することは耶蘇の主義に背くことにならないだろう。 以上のように論じる加藤弘之は、その3年前に「徳育方法案」と題して演説し、神仏儒に耶蘇を併せて小学校の徳育科に施すべしと主張していた。加藤弘之が所論を豹変させることはいつものことであるが、これも時勢の変遷を反映したものと見ることができる。後年にいわゆる「加藤の耶蘇いじめ」はここに発端する。 教育勅語を全国の学校に遵奉させることになると、唯一神を信仰するキリスト教徒は天父以外に頭を下げないためこれを喜ばず、キリスト教系の学校において教育勅語の尊重や天皇の御真影への拝礼を拒む者があった。またそれと直接関係なくても、明治国家の教育に反抗し、国体観念と相容れない思想をもつキリスト教徒もいた。1892年(明治25年)10月、井上哲次郎は、キリスト教が教育勅語と国体に背戻するとという意見を語り、翌月その意見を『教育時論』に載せる。これがいわゆる宗教教育衝突問題の発端である。 そしてキリスト教徒が騒ぎ始めると、井上哲次郎は「教育と宗教の衝突」という一文を書いて二十数種の雑誌で発表し、さらに増補して単行本とし翌年4月に公刊する。同書で以下のように述べる。 教育勅語は全く国家主義に立脚する。しかし我が国の耶蘇(キリスト)教徒は教育勅語奉戴に反対し御真影拝礼に反対する。耶蘇教は徹底して非国家的であるから、これも当然の帰結である。 耶蘇教は博愛を主旨として家族も他人も区別しない。現世を捨て来世の自己幸福を願う利己的精神であるので父母を重んぜず先祖崇拝も斥ける。神の外は一切平等なので忠君の観念がなく、国家の興亡にも関心がない。このため欧州においても早くもその実力を失ったのである。しかし我が国のキリスト教徒はその事情に無知である。いたずらに我が国体に反することを文明とし、これを信じない者を野蛮ととする。 教育勅語は国家主義を標榜し国体の尊厳を保護しようと欲する。これに耶蘇教が一致することはないだろう。仏教が我が国の精神に同化したように耶蘇教も同化するならば、あながち排斥すべきではない。すでに耶蘇教は我が国体に矛盾せず、また忠君の教えを含むと弁護する者がいるが、牽強附会(こじつけ)でしかない。以上。 これに対してキリスト教徒は全力で争い、仏教家も参戦し、学者も教育家も文筆家も皆この問題に口を挟み、単行本だけでもキリスト教を排斥する側が二十数種、これを弁護する側が十数種、その他に新聞・雑誌・講演にこれを論ずるものは数百種にのぼり、喧々諤々として議論が続く。この議論を総じて見ると、排斥側は井上哲次郎の所論を祖述するものであり、弁護側はこれに答えて、聖書にも忠孝を標榜する語が一つ二つあるとか、宗教の分野は政治教育の類いと全く別分野であり両者が衝突することはないとか、キリスト教は非国家主義であるが反国家主義でないとかと弁じる。排斥側がキリスト教の社会上政治上に害を及ぼした例を挙げると、弁護側は西洋文化の輸入、女子教育の向上、学校外の道徳心の涵養などは主にキリスト教のおかげであると応じる。弁護側が非キリスト教徒を旧弊・頑迷・退歩であると蔑むと、排斥側は、理学が進歩し進化論の発達した今日において迷信にすぎないキリスト教を今さら新思想であるともてはやす信徒こそ最も頑迷であると罵る。最後は論敵の人格攻撃に及び、互いに犬糞的応酬をするに至る。 (排斥側)磯部武者五郎「政教時論」に曰く、キリスト教は我が国体、すなわち我が国家の特性に適合しない。我が国体は万世一系の天皇を奉戴するを唯一の元素とする。キリスト教は唯一ゴッドに奉仕し、未だに天皇を奉ずることを宣明しない。我が皇国の国体では民の守るべき徳義は敬神・尊王・愛国の三つである。キリスト教はこれと両立しない。博愛を主義とし敵を愛すべしと主張するキリスト教は日本魂と合わない。当然排斥すべきである、と。 (排斥側)中西午郎「宗教教育衝突断案」に曰く、耶蘇教は、全く非国家主義であるとはいえないものの、我が国体と全く並立できない。我が皇統は天孫であり日本国民は同祖であるという天啓的歴史が国民の脳裡を支配し、忠君愛国の感情は万古を経て不滅である。教育勅語はこの国体に基づいて国民教育の方針を示したものなので耶蘇の教義と合わない。耶蘇教は、君父と他人を差別せず、自国と他国を差別しないので、我が国体と相容れない。儒教・仏教や憲法制度は外国由来であり我が国体と多少衝突したが結局同化した。耶蘇教も同化すれば不可でない、と。 (排斥側)杉浦重剛「教育弁惑」に曰く、欧州諸国が東洋諸国にキリスト教を扶植しようするのは、名を博愛に借りて実は欲のためである。世界同胞主義の博愛は実行不可能である。日本人の一部がこれを迷信するのは心外である。空想に生まれたゴッドは理学の発達と両立しない。我が国体は皇室を最貴最尊と仰ぐ。キリスト教徒がその教義に忠義の旨もあると弁解するのは牽強(こじつけ)である。そうであるなら何故に御真影や教育勅語の礼拝奉信を拒む信徒を除去しないのか。今後キリスト教が我が邦で隆盛するには、勅語に違背する所を除き、理学に疑われる所を掃わらなければならない、と。 (弁護側)小崎弘道「基督教と国家」に曰く、汝の隣人を愛せよというのがキリスト教の綱領である。人を愛する教えなので国を愛するのはもちろん、国君に対し忠節を尽くす事あるのをその教えの主旨とする。 (弁護側)植村正久「今日の宗教及徳育論」に曰く、人類を囚えて自国の観念に禁錮するのは陋俗な国家主義国粋論者の迷夢でしかない。キリスト教は神を愛する主義を第一に置き、その制限の下に自己を愛し他人を愛する。愛国も同じである。正義の愛をもって国を愛す。君主に対するときもこれと大同小異である。君主を重んずべきは新約聖書に明文を載せている。キリスト教は決して不忠の道を主張するものではない。 仏教徒がキリスト教排斥に加担したことも見過ごせない。キリスト教が日本の国体と相容れないのはそれが世界的であって国家的でないからだとすれば仏教も根本義は世界的である点でキリスト教と同じであるが、仏教徒はキリスト教排斥に加担した。キリスト教徒はこの点を指摘し、たとえば大西祝は、世界的であるために我が国体を破壊すると言うならば仏教はもちろん儒教も哲学も理学も詩歌も同じであるのに何故にキリスト教のみを論難するのか、と高調した。仏教徒は聞こえないふりをしてキリスト教攻撃を続け、さらに進んで仏教は国体と深い関係があると論じるに至った。その代表は井上円了である。 井上円了は仏教哲学者であり哲学館(後の東洋大学)を設立した。宗教教育衝突問題以前の1889年(明治22年)9月に『日本政教論』を著して、皇室と仏教が不可分であることを論じた。同書に曰く、仏教は古来皇室と関係深く、また国家鎮護の一助であった。すなわち名実ともに仏教をもって国教に組織したものである。もしこの縁故を廃すれば歴史上の事実を廃することになり「皇室国体の永続を期すること難しかるべし」。歴史上縁起深い寺院を保存し、その宗教を特待しなければならない、と論じた。そこにたまたま宗教教育衝突問題が起こり、井上円了がキリスト教排斥に加担しつつ国体と仏教の関係を説いたものが『日本倫理学案』と『忠孝活論』である。1893年(明治26年)1月著『日本倫理学案』に云う。 国が異なれば国体も異なる。その国の独立を継続する限り特有の国体を維持しなければならない。教育も道徳も国体を基に組織しなければならない。上古から中世まで、我邦教育宗教等は、大抵シナ三韓インドから徐々に入って来たが、自然に国風に一変し、国体を維持することを目的するようになった。今後の方針も、あくまで国体を基礎としなければならない。 我邦の国体が万国に卓絶するわけは皇統一系天壌無窮の宝祚を戴くことにある。その原因は次の三か条である。(1)皇室あって後に人民あること、(2)君臣が一つであること。(3)忠孝一致を人倫の大本とすること。 人民はみな皇室の臣下であり同時にその末裔でもある。したがって君臣一家、忠孝一致を知るべし。この美風は単に倫理上の一国の精華であるだけでなく、国家の団結を鞏固にして国務を強大化するのに大いに有利である。以上。 同年7月著『忠孝活論』は次のように云う。 我が国体を論じるには客観・主観の両面から観察しなければならない。客観上、物界にあって我が国が気候温和・地味豊沃・風景秀美であることは世界に比類ない。また人界にあっては上に一系連綿で一種無類の皇室がある。厳然と永存するものであり、禅譲放伐(革命)により立つものと異なる。 主観上、心界にあっては古来一種の霊が大和魂を成す。精誠な忠孝を発育し、これにより一種神聖な国風を形成した。実に我が国は神国というべきである。 皇室は太古純然の気が今日に永続したものであり、すなわち神聖の皇室である。臣民は皇室の分派であって神子皇孫の末裔であり、すなわち神聖の臣民である。そして我が国の忠孝は、臣民の精神界に固有する霊気の発動であり、神聖な皇室から分賦された徳性であるので、この忠孝もまた神聖の忠孝である。以上。 井上円了はここで敢えて仏教に言及しないが、その附録に「仏門忠孝一班論」を添え、仏教にも忠孝の原理があると論じ、仏教を国家主義に結びつけている。
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