宗教文化
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マタギは、山の中ではマタギ言葉という特別な言葉を使い、里で使われる言葉が山で使われることを忌避した。例としては「死ぬ」を「サジトル」と言い、「クマ」を「イタズ」と呼ぶなどである。また、それ以外にも口笛を吹くこと、女性と会話したり、女性の身体に触れたりすること、鉄砲をまたぐこと、七人で山に入ること、お産に立ち会うことなど、禁忌事項も多くあった。厳しい雪山の自然に立ち向かってきたマタギには、「山は山の神が支配する場所、そして熊は山の神からの授かり物」「猟に入る前には水垢離(みずごり)を行う」など独特の信仰を持ち、獲物を仕留めたとき、獲物を解体するとき、狩猟組に新入りを迎えるときなどには特別の呪文を唱え、儀式を執り行った。 マタギの信仰する山の神は嫉妬深い醜女であるとされ、より醜いオコゼを供えることで神が喜ぶとされた。そのため、マタギは猟の際に干物にしたオコゼを懐に入れて持参したという。 また、山の神は好色であり、マタギ発祥の地と云われる阿仁では戦前まで、一人前のマタギとして集団に属する儀式(成人式)の際、新成人はハト(ペニス)をいきり立たせて狂い踊り、山の神との象徴的な交合を行って結婚をする儀式(クライドリ)が執り行われていた。これはマタギ衆以外に公言することが禁忌とされ公言が憚られていたが、戦後の民俗調査での聞き取り記録で明らかになった。 これらの風習について、アイヌ文化の影響を指摘する声がある。また、マタギ言葉もアイヌ語との類似性を指摘されている。これらのアイヌ文化とマタギ文化の類似性は、紀行家の菅江真澄によって江戸時代から指摘されていた。
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宗教文化
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街中のいたるところに、中に経が収められた円柱状の大小様々な「マニ車」が存在しており、1回転させればその経を読んだのと同じ功徳があるとされている。 ブータンの有名な祭りとしてグル・リンポチェの奇蹟がブータン暦の各月10日に起きたことにちなんだ「ツェチュ」(ゾンカ語で「10日」の意)と呼ばれる祭がある。ツェチュは各地の寺院、僧院、ゾンなどで年に1度開催される が、行われる月はまちまちである ため、1年を通じて国内のどこかで見る事が出来る。特に春の「パロ・ツェチュ」、秋の「ティンプー・ツェチュ」は有名で、国内外から観光客が殺到する。 ツェチュでは「チャム」と呼ばれる宗教的な仮面舞踏が披露される。この舞踏はグル・リンポチェの生涯を描いたもので、ブータンではツェチュに参加しチャムを見ることで功徳を積み、恩恵を受けて罪を洗い流す事がよいとされている。舞踊の他には地域ごとの特色豊かな舞踊や、道化による寸劇(アチャラ)などの余興が行われる ほか、「トンドル」と呼ばれる巨大な仏画が開帳されることもある。トンドルはアップリケ状の巨大なもので、目にするだけで涅槃に成仏できると信じられている。
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宗教・文化
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1925年、アルバニアはベクタシュ教団の世界的な中心となった。教団の中心がティラナに置かれ、ジロカストラはアルバニアに6つある教区のうちの1つとなりアシム・ババ(英語版)のジェメヴィ(英語版)(修道院)の中心であった。ジロカストラで多くのベクタシュやスンニ派人口を保っていた。歴史的に15のモスクやテッケ(修道院)が設立され、1945年にはそのうちの13は機能していた。現在ではジロカストラモスク(英語版)が残るのみで、他の12の宗教施設は1967年にアルバニアの文化革命によって共産主義政権により破壊された。 ジロカストラはアルバニア正教会の教区も置かれている。17世紀、オスマンの旅行家であったエヴリヤ・チェレビが1670年にジロカストラを訪れた際、町の詳細な記述を残している。ある日曜日にチェレビはヴァイティム(英語版)を聞いている。ヴァイティムは伝統的なアルバニアの死に際しての嘆きでプロの会葬者により行われ、泣き女の一種である。チェレビはその騒々しさからジロカストラに「泣き叫ぶ町」と言うあだ名を付けている。 アルバニアの小説家イスマイル・カダレによる小説「石の年代記」では第一次世界大戦と第二次世界大戦にイタリアやギリシャによって占領されたジロカストラの歴史を伝えている。アルバニア初の女性作家であるムシネ・コクアルアーリ(英語版)は80ページにわたり10の若々しいジロカストラの彼女の方言で散文「私の古い母は私にこう言っている」 (アルバニア語: Siç me thotë nënua plakë)を残している。本では日々のジロカストラの女性の奮闘が描かれ、地域でブームとなった。 ジロカストラはアルバニア人、ギリシャ人両方のポリフォニーがあり5年毎にジロカストラナショナルフォルクローレフェスティバル(アルバニア語: Festivali Folklorik Kombëtar)が行われる。フェスティバルは1968年以来開かれ 直近では2009年に開催されている。フェスティバルはジロカストラ城で開かれている。 ジロカストラではギリシャ人マイノリティーが多く住んでいることから、ギリシャ語の新聞Λαϊκό Βήμα(Laiko Vima)が発行されている。同新聞は1945年に発刊され、同時代のアルバニア社会主義人民共和国で発行が許されていた唯一のギリシャ語新聞であった。
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