カダレ【Ismail Kadare】
イスマイル・カダレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 02:34 UTC 版)
イスマイル・カダレ Ismail Kadare |
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1990年代頃
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誕生 | 1936年1月28日![]() |
死没 | 2024年7月1日(88歳没)![]() |
職業 | 小説家 |
国籍 | ![]() |
主な受賞歴 | ブッカー国際賞(2005) アストゥリアス皇太子賞(2009) エルサレム賞(2015) ノイシュタット国際文学賞(2020) |
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イスマイル・カダレ(Ismail Kadare 1936年1月28日 - 2024年7月1日[1])は、アルバニアの小説家。アルバニア文学を代表する作家としての地位を占めている。
人物像
アルバニア南部の都市であるジロカストラに生まれる。ティラナ大学で文学及び歴史学を学んだ後、モスクワのマクシム・ゴーリキー世界文学研究所に留学したが、ニキータ・フルシチョフのアルバニア批判により両国関係が悪化し、1960年帰国。
第二次世界大戦中のパルチザンを描いた『死者の軍隊の将軍』(1963年)や、『城』(1970年)、『夢宮殿』(1981年)など、アルバニアの歴史や社会情勢を踏まえた著作がヨーロッパで有名となる。アルバニア労働党の一党独裁体制下で、発禁・海外翻訳禁止処分や国内での地方追放などの弾圧を受けたが、同体制が崩壊した1990年からは一時フランスに亡命しパリに在住、1992年には帰国した。1990年代には政界から大統領になるよう求められたが、カダレ本人は断った[2]。
2005年に創設されたブッカー賞の国際版であるブッカー国際賞の第1回受賞者に選出された。2016年レジオンドヌール勲章を受勲。
2024年7月1日朝、アルバニアの首都・ティラナのアパートにある自宅で亡くなっているところを親戚に発見された。自然死と見られる[3][2]。88歳没。
受賞歴
- 1992年 チーノ・デル・ドゥーカ世界賞
- 2005年 ブッカー国際賞
- 2009年 アストゥリアス皇太子賞文学部門
- 2015年 エルサレム賞
- 2019年 朴景利文学賞
- 2020年 ノイシュタット国際文学賞
主な作品
- 『大いなる孤独の冬』(Dimri i vetmisë së madhe)
- 『死者の軍隊の将軍』(Gjenerali i Ushtrisë së Vdekur 1963年)
- 『城』 (Kështjella 1970年)
- 『石の年代記』(Kronikë në gur 1971年)
- 『砕かれた四月』(Prilli i Thyer 1980年)
- 『夢宮殿』(Pallati i ëndrrave 1981年)
- 『誰がドルンチナを連れ戻したか』 1986年
- 1994年 平岡敦 訳 白水社
- 『草原の神々の黄昏』 1996年
- 1996年 桑原透 訳 筑摩書房
- 『独裁者の召喚』(Kur sunduesit grinden)
脚注
- ^ “イスマイル・カダレさん死去”. 朝日新聞デジタル (2024年7月2日). 2024年7月2日閲覧。
- ^ a b "Albanian renown writer Ismail Kadare, dies age 88". ABC NEWS (英語). A.B.C. Management. 2024年7月1日. 2024年7月1日閲覧。
- ^ “The well-known writer Ismail Kadare passed away”. CNA (2024年7月1日). 2024年7月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Winning the first Man Booker International Prize, as reported by the BBC.
- Biography at bbc.co.uk
イスマイル・カダレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:19 UTC 版)
「エリック・ファーユ」の記事における「イスマイル・カダレ」の解説
小説を書き始めたのは20歳のときである。作品は刊行されなかったが、ピエール=ギヨーム・ド・ルー(フランス語版)出版社の経営者やゴンクール賞受賞作家パトリック・グランヴィルの支持を得た。数年後にアルバニアの小説家イスマイル・カダレに出会ったことが大きな転機となった。かねてから特に1960年代から1970年代のカダレの作品、「魔術的リアリズムに近い空想的な作品、不条理とグロテスクと悲劇とが入り混じった作品」に惹かれ、「スターリン主義の国でなぜこんなに自由な発想ができるのか」と疑問に思っていたという。カダレはファーユの取材に応じ、彼の企画を支持した。この結果、1991年に評論『イスマイル・カダレ ― 火をもたらすプロメテウス』と『イスマイル・カダレ対談集』が出版された。
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