マタギとしてとは? わかりやすく解説

マタギとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 01:53 UTC 版)

佐藤良蔵」の記事における「マタギとして」の解説

1924年大正13年)、秋田県北秋田郡上小阿仁村八木沢西山下に生まれた先祖阿仁・根子マタギ組頭伍長善兵衛マタギ集落に伝わる古文書先祖代々記」によると、江戸時代後期1813年文化10年)、マタギ発祥の地とされる阿仁根子集落北秋田市)から村田徳助ら若者3人移住定着した佐藤は、そのうち一人佐藤左衛門から数えて6代目にあたる。 第二次世界大戦前から営林署働いていた。1948年昭和23年)、中国から復員し、再び営林署で働くようになったが、秋田杉売れ行きよかったために独立し佐藤木材会社トラック7台、作業員20人の規模にまで成長した10代から狩り始め木材会社を営むかたわら村田銃を手に若い衆引き連れて山に入って仕留めた獲物は百を超すといい、自宅には、クマテンバンドリムササビ)などのはくせいや毛皮飾られている。1966年12月長男2人若者引き連れた佐藤は、体長約2メートル体重200キロ越の「山の主」と呼ばれていた大グマ仕留めた獲物の肉は集落人々振舞われたという。鉄砲の弾を自分作り、「70余山」の山歴。 2009年平成21年)春、渦模様刻まれた黒い二連発銃を地元北秋田警察署返納し、現役マタギ引退息子は8人いたが、誰も後を継がなかったため、八木沢200年続いた伝統的な狩猟文化は姿を消した2012年8月29日佐藤申請に基づき佐藤所有する八木沢マタギ狩猟用具5点上小阿仁村有形民俗文化財第1号指定された。三角柱形状と溝が特徴マタギ新潟県にかつてあったマタギ集落三面村上市)で購入されて、七左衛門から佐藤まで代々受け継がれてきたとみられている。

※この「マタギとして」の解説は、「佐藤良蔵」の解説の一部です。
「マタギとして」を含む「佐藤良蔵」の記事については、「佐藤良蔵」の概要を参照ください。

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