八木沢マタギ狩猟用具
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有形民俗文化財指定 第1号 上小阿仁村教育委員会 員数:5点マタギ熊槍 マタギ槍 火縄銃の背負袋 マタギマキリ マタギベラ 指定日:平成24年8月29日 所在地:上小阿仁村八木沢 所有者:佐藤良美 古来、日本民衆の狩猟用具は先人から受け継がれた文化をもち、普遍的習俗が守られた。史料5点は八木沢集落が阿仁・根子集落から移住以前から用いられたものとされる。いずれも近世中期から後期。所有者は代々のマタギを継承する佐藤良蔵で、先祖は根子マタギの組頭(伍長)善兵衛から分家。狩猟用具は佐藤良蔵が所有した近世後期の「蔵」に収蔵されていたものである。 マタギ熊槍(くまやり)(三角槍、穂先:37.8センチ、柄:2メートル) 近世の秋田マタギ(阿仁マタギ)の槍ではない。新潟県村上市三面(旧朝日村)の鍛冶屋で作られたと推測される。旧朝日村三面マタギや信州・秋山郷の秋山マタギが所持した槍と類似する。熊槍は「タチマエ」(射手)が所持したもので断面は三角で溝があることから「三角槍」とも呼称。熊猟で用いられたと分析される。 マタギ槍(身:鉄材、木部材質:クルミ)近世初期から中期。阿仁マタギは「たて」(槍型)と呼称。阿仁マタギ猟具と同一。近世後期、根子村から移住以前から用いられたものである。一般的な槍でクマ狩りなどに用いた。火縄銃が浸透する以前からの代表的な狩猟具であるが、鉄砲が普及したあとも用いられた。 火縄銃の背負袋(しょいぶくろ)近世末期とされ、旅マタギで用いられた。牛革で作られた鉄砲のケースで火縄銃を入れた。背負袋は冬狩りで雪の上においても濡れない、凍らないなど寒中のマタギに適した。 マタギマキリ(刃長:4寸8分(約14.8センチ)柄:長さ11センチ(イタヤ材))マキリはアイヌ語と共通。近世中期。クマやアオ(カモシカ)などの大型動物を解体するための道具として用いられた。刃は鋼で日本刀を改造したものとされる。新潟県岩船郡朝日村、三面マタギが所持したものと共通。 マタギベラ(長さ:167センチ、幅:8センチ)近世中期。イタヤ製の雪ベラ。日本古来の狩猟用具の代表。冬狩りでアオ猟(カモシカ猟)で用いられた。アオ猟は毛皮を獲るものとされ、槍を使わず、巻狩りでマタギベラで斃して獲った。まん中の窪みは火縄銃が用いられたときに上端に銃身をのせ安定させて撃つことができるように窪みをつけたものである。また、狩りだけではなく、雪除けや雪洞つくり、股に挟んで急斜面を滑り下りるとき等に用いられた。冬狩りのマタギの必需品。 近世、秋田マタギ(阿仁マタギ)は出羽山系で一つの文化圏を形成したといえる。八木沢集落は近世後期、マタギの発祥とされる秋田郡大阿仁根子のマタギによって開かれた。狩猟用具は集落のマタギ文化の特色を示すものだが、秋田マタギ(阿仁マタギ)との歴史的変遷、時代的特色、地域的特色など、集落の生活様式や様相を示すものであり、マタギ文化の歴史上、その価値を形成している。
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