八木沢マタギとは? わかりやすく解説

八木沢マタギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:21 UTC 版)

上小阿仁村」の記事における「八木沢マタギ」の解説

八木沢集落1813年文化10年)、旧北秋田郡荒瀬村根子マタギ移住して地域共同体定着している。根子マタギ発祥の地とされ、大ムカデ退治して正一位志明神の位を授かった次・盤(三郎始祖仰ぎ狩猟文化を守り続けてきた。厳し長男相続制のために、他所に移り住む二男三男多かったことなど、マタギ文化広範囲拡散されている。 1805年民俗学の祖と言われる菅江真澄は、マタギの里として知られる奥阿仁地域縦断し、マタギ習俗伝説などを「みかべのよろい」などに書きとめた。「山ひとつ越えると根子という集落があった。このはみな、マタギという冬狩りをする猟人の家が軒を連ねマタギの頭の家には、古くから伝えられる巻物秘蔵した」としている。 菅江真澄奥阿仁訪れてから8年後、八木沢集落誕生している。村田徳助、山田三之助佐藤左衛門三軒定着する。この集落近世江戸時代から出羽丘陵奥羽山脈での狩りをする狩猟民の中継地点であった冬場豪雪みまわれ厳し自然環境のもと、狩猟盛んに営なまれた。山の神対する厚い信仰をもち、俗信禁忌があった。昭和30年代民俗文化大きな転換期をむかえて、伝統的な信仰行事習俗芸能にいたるまで大きく変化した小さな地域民俗文化改廃。「鉄砲もどこの家にもあった。みんながマタギ自分で鉛を溶かし鉄砲の弾を作った」。しかし、マタギ集落高度経済成長とともに若者流出過疎化による後継者不足となった。そして、ついに2009年春集落最後古老マタギ佐藤良蔵所持許可証有効期限半年残し鉄砲北秋田警察署返納した。日本民衆文化狩猟伝承」を保持してきたマタギ集落惜しまれながらも消えていった。わずかに残され伝承信仰俗信禁忌などを語る者は、古老のみとなったという。 近世から狩猟をなし、マタギ変貌物語るものに同村不動集落山田三郎所蔵の「マタギ秘巻」がある。この巻物高野派の「山達由来之事」と日光派の「山立根本巻」とが同一巻内に納まり「山達由来之事・山立根本巻」という名称になる。現存しているマタギ文章はいずれ流布写本のたぐいであり、原本不明である。上小阿仁村マタギ集落八木沢形(離村)である。このマタギ文章はそこから出たものとされるが、この文章実在する限り八木沢形(離村)のマタギその伝承性上においてかなり形骸化されたものだった違いない。その証拠に両集落隣地阿仁町(現北秋田市)から両派の流れをくむマタギたちが住みついていたからだった。

※この「八木沢マタギ」の解説は、「上小阿仁村」の解説の一部です。
「八木沢マタギ」を含む「上小阿仁村」の記事については、「上小阿仁村」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「八木沢マタギ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八木沢マタギ」の関連用語

八木沢マタギのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八木沢マタギのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの上小阿仁村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS