村田銃とは? わかりやすく解説

むらた‐じゅう【村田銃】


村田銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:48 UTC 版)

村田銃(むらたじゅう)は、薩摩藩日本陸軍の火器専門家だった村田経芳がフランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発し、1880年(明治13年)に日本軍が採用した最初の国産小銃。1880年3月30日、陸軍省は少将村田経芳作製の単発銃を軍用に指定した(明治工業史 火兵篇 日本工学会編)。


  1. ^ 世界大百科事典」(平凡社)当該項目
  2. ^ 翻訳者は当時幕府翻訳方であった福沢諭吉などである。この操作マニュアルは「雷銃操法」と題され、『福沢全集』に収録されている
  3. ^ 陸軍省各局文書 卿官房 明治6年7月
    山県陸軍卿 1873年(明治6年)7月18日
    「一歩兵操典 大隊ノ部 小隊ノ部 各一冊 右ハ今般教使エレマン氏講義ヲ@リ兵学寮於テ正@候条其局於テ活阪ヲ以テ改編取計可申此旨相達候事 明治六年七月十日 山県陸軍卿 第六局」
  4. ^ 公文別録・陸軍省衆規渕鑑抜粋・明治元年〜明治八年・第十一巻・明治四年〜明治八年
    兵部省 明治5年2月12日(1872年3月20日)
    「東京鎮台歩兵練兵式ヲ定ム 東京鎮台 其台本営歩兵之儀西暦一千八百七十年式ニ相定候間歩兵操典ニ基キ可致練兵候事衆規淵鑑
  5. ^ 陸軍省大日記 「大日記 諸寮司伺届弁諸達 1月金 陸軍第1局」
    陸軍省 1874年(明治7年)1月
    「但仏書右此戸山出張所ニ於テ入用ニ付至急貸渡相成度此段相伺候也 曽我兵学頭代理六年十二月二十三日 兵学助 保科正敬山縣卿殿伺之通但買上下貸渡事 一月十三日 第六十九号千八百七十二年式仏歩兵操典 三部右歩兵科教師通弁課之者職務用必要ニ付至急御貸渡相成度尤御貯蔵乞之候事 実上御渡相成候様致度此段相伺候也」
  6. ^ 後装式のメリットは、その連射性と伏射姿勢を維持したまま弾薬の装填が可能な点にあった。
  7. ^ スナイドル銃に使用された.577 Snider弾薬は、1866年にイギリス陸軍に採用されたボクサー型雷管を使用する一体型薬莢であり、開発当初は真鍮製の基部と紙製の側筒部を組み合わせて製造されていたが、ほどなくして真鍮素材から一体成型された金属薬莢へ発展し、ボクサー型薬莢と呼ばれるようになった。
    ボクサー型薬莢は現代でもほぼ原型のまま使用されているほど完成度が高く、金属で密閉された発射薬と点火薬は環境の影響を受けにくく、多湿・多雨なアジア地域においてもその信頼性は比類なきものだった。
  8. ^ スナイドル銃は、各藩が多数の在庫を抱えながら旧式化してしまった前装式エンフィールド銃に、比較的簡単な加工を施すだけで製造できたため、コストパフォーマンスに優れており、日本陸軍のみならず各藩の鉄砲鍛冶の手になる無数の改造例が存在していた。
    陸軍軍政年報(明治八年の項より)
    第五 砲兵事務 (明治八年)九月ヨリ官員ヲ派出シ長門国萩沖原ニ於テ「エンピール」統ヲ「アルミー」銃ニ改造ヲ始ム 「スナテトル」弾製造器械来着セリ(八年九月)此器械ヲ用ユルキハ大凡一日五万発ノ弾ヲ製造スルコトヲ得ル〜和歌山属廠ハ(当)時「ツンナール」ヲ用ヒサル因ヲ閉廠〜 (注:アルミー銃とはスナイドル・アルミニー(歩兵)銃の意味)
  9. ^ スナイドル銃は最初期の後装銃だったため、薬室先端から弾丸がライフリングに喰い込む部分の調整が技術的に未確立な状態にあった。
    エンフィールド銃では油紙に包まれた状態で装填されていた弾丸が、スナイドル銃では直接ライフリングと摩擦する構造に変更されたため、弾丸の初速を上げすぎると、摩擦熱で溶けた鉛がライフリングに付着して蓄積し銃身の寿命を短くするため低初速でしか使用できず、弾道特性の向上は期待できなかった。
    また、エンフィールド銃から簡単に改造できる事を優先したデザインだったため、撃発機構は管打ち式から流用されたサイドハンマー式のままで、射撃の際に銃身軸線へ大角度で打撃が与えられて重力干渉が生じ、命中精度の向上と有効射程距離の延長は期待できない構造だった。
    スナイドル銃弾薬は高い信頼性を有したが、その製造には大規模な設備と工業インフラの存在が不可欠であり、1877年(明治10年)までに同弾薬の国産化に成功していたのは集成館事業の蓄積を有した旧薩摩藩だけで、東京・大阪に基盤を置く新政府にとって、薩摩以外の供給源は輸入品しかなく、この事が薩摩閥の内紛が内戦に拡大した西南戦争勃発要因のひとつとなった。
  10. ^ ドライゼ銃(普式ツンナール銃)は、弾丸がサボットに包まれた状態でライフリングにより回転を与えられる構造であり、銃身への鉛の付着やライフリングへの喰い込みの問題はなかった。撃発機構も銃身軸線と並行して撃針が前後するボルトアクション式であり、命中精度への悪影響は極めて小さかったが、使用する弾薬が紙製薬莢式だったため環境の影響を受け易く、多湿・多雨な日本では発射薬の黒色火薬が湿気り易く、長い撃針が焼損して折れる問題と、手入れを怠るとボルトと銃身後端の隙間から高温・高圧の発射ガスが漏れ出す問題は最後まで解決されなかった。
    ただし、紙製薬莢はデメリットばかりではなく、水圧プレスなど専用設備を要する金属薬莢の製造に比べて、紙製薬莢はマニュファクチュアレベルの工業水準でも製造が可能であったため、ドライゼ銃を採用した紀州藩では工廠を設置して弾薬の国産化に成功しており、後の西南戦争勃発の時点で日本陸軍は200万発近いドライゼ弾薬の備蓄を有していた。
  11. ^ スペンサー騎兵銃坂本龍馬のエピソードで有名だが、リムファイア式薬莢を用いるため高腔圧の弾薬が作れず、拳銃弾程度の弱装であるため射程も短く、既に旧式化しつつあった。
  12. ^ シャスポー銃はドライゼ銃と同じく紙製薬莢を使用しながら、ドライゼ銃の欠点の多くを解決し、小口径ながら発射薬の量が多かったため、当時最も優れた弾道特性を有していたが、シャスポー銃に用いられる紙製薬莢はドライゼ銃以上に湿気の影響に弱かった。
    また、ドライゼ銃の欠点だったガス漏れを防ぐため、当時はまだ高価だったゴム製のリングを消耗品として使用しており、主力小銃として運用できるだけのゴムリングを確保するためには、フランスやイギリスといった特定のゴム産出国に依存し、高価な消耗品を輸入し続けなければならないという問題があった。
  13. ^ 陸軍省大日記 明治5年 「大日記 壬申3月 省中の部 辛」
    陸軍省 明治5年3月(1872年5月)
    「沼津出張 間宮兵学大助教 右之者御用有之候間早々上京有様可分相成候也壬申三月二十八日 山県陸軍大輔 兵学寮 第八百七十九号 記 一金百両也 小銃弾函弐百個 但シ壱函ニ付金弐歩 寸法 堅壱尺五寸壱歩 横六七分 深サ四寸六分 木厚七分 但シ鉄釘打ニ付中函亜鉛板入子外函角ニ里ペッキ塗リ 右ハシャスポー実包弾格護用ニ付当司ニオイテ出来為致度有之御検印被下度候也 申出之通 三月二十六日」
  14. ^ 陸軍省大日記 明治7年 卿官房 12月
    兵学寮 第三局
    兵学寮 本年十月十九日ハ@第五千六十五号@@シヤスボー銃ゴム般来ニ付可@試験上タ相達@@@@@村田少佐右円流政正之ヲ以更ニ可改試検此上@相達之事 第三局 別紙之通兵学寮相達候条ニ@@@@@会試検可改此上@相返@
  15. ^ この時期、将来的にシャスポー改造グラース銃を日本国内で製造する事を既定路線としながら、当面はスナイドルを使用するとの通達が出されている。
    公文別録・陸軍省衆規渕鑑抜粋・明治元年〜明治八年・第十一巻・明治四年〜明治八年
    1874年(明治7年)5月15日 太政官 陸軍省
    「東京鎮台歩工兵携帯銃シャスポー製作未整ヲ以テ姑クスナイトル銃ヲ以テ備付ト為ス 達東京鎮台 其台歩工@兵携帯銃シャスポート相定候ニ付テハ春@於造兵司@修理@店候@@@他@至為製作ノ品多分有之ヨリ右銃小ノ半ハ出来ニ至兼@付@延ニ及ヒ不都合ニ付当分「スナイトル」銃ノ以テ備付候条此旨相達候事 但「スナイトル」銃@@属品不足有之一時悉旨@付@難相成漸々取揃相渡一筈@候事衆規@鑑」
  16. ^ 各鎮台から西南戦争へ派遣される事になった兵のうち、ドライゼ銃(ツンナール銃)を支給されていた兵は、弾薬補給統一のためにスナイドル銃を新たに支給されてから九州へ派遣されていた。
    陸軍省大日記 明治10年 「大日記砲兵工兵の部12月木陸軍省第1局」
    陸軍省 1877年(明治10年)12月
    「砲六百〇二号 大阪鎮台@歩兵第十連隊一大隊第一中隊従前携帯シスナイトル@出征之際ツンナール@@交換其兵@別紙之通@帰之数@返納之義伺出@此旨相達候事 十年十二月二十二日 陸軍卿山県有朋 砲兵支廠 別紙ハ〜」
    陸軍省大日記 明治11年 「大日記鎮台の部 2月木乾 陸軍省第1局」
    陸軍省 1878年(明治11年)2月12日
    「東四十八号 其@歩兵第二連隊第二大隊之内三中隊昨年@大阪鎮台@携帯スナイトル致ツンナール銃与交換出征@戦地ヨリ@ニ本営へ引揚@付@引渡方@五第三千十七号大阪鎮台伺出@之通及指令候条@心得此旨相達候事 明治十一年二月十二日 陸軍卿山県有朋 東京鎮台 別紙@大九十四号」
    しかし、途中からスナイドル銃のストックがなくなり、そのまま派遣される兵が存在していた事も記録されている。
    陸軍省大日記 明治11年 「大日記6管鎮臺の部 4月末乾 陸軍省第1局」
    陸軍省 1878年(明治11年)4月
    「五@千六百三十一号 第三伸@法@十九号 甲第三十二号 大二百十九号 元遊撃歩兵第五大隊出征用兵器彈薬返納之義ニ付伺 十年和歌山県臨時召募元遊撃歩兵第五大隊昨十二月解隊返納兵器彈薬@別紙甲乙二表之通有之御召表中持帰ノ分返納@之度此段相伺候也 明治十一年四月十五日 大阪鎮台司令長官 陸軍少将三好重臣代理 陸軍少佐高島信茂 陸軍卿山県有朋 伺之通 四月三十日 元遊撃歩兵第五大隊出征持出ノ兵器弾薬之内凱旋返納員数 長ツンナール銃 同剣 同屓革 同弾薬合 同帯革 同剣差 同胴ノ金物 同又字金 同接脱金 同鍼」
  17. ^ 陸軍省大日記 「大日記 省内各局参謀近衛病院 教師軍馬局 3月水 陸軍省第1局」
    陸軍省 1877年(明治10年)3月7日
    「参第四百五十五号 第三伸天四十八号 至急 局第二百七十号 改造銃代価積り問合之儀二付伺 村田少佐試シ改造之シヤスポー銃独逸国@代価積り問合申度二付アーレンス社より談判為度就而者右十同人より御渡相成度此段相伺候也 十年三月七日 第三局長代理陸軍大佐原田一道 陸軍卿代理陸軍中将西郷従道殿 伺之通 三月七日」
  18. ^ mofa.go.jp トップページ>外務省案内>外務本省
    外交史料Q&A 明治期 1890年代(明治23年〜32年頃)
    “布引丸事件とは”より引用。
  19. ^ 村田銃のライフリング除去措置は、現代の猟銃に使用されるスラッグ銃身に銃身長の半分までライフリングを施せることの法的根拠となっている。
  20. ^ むかしばなし - 射撃考
  21. ^ Q&A 散弾銃関連: 銃器のコラム - ファーイーストガンセールス
  22. ^ 公文書にみる発明のチカラ - 35. 村田銃の発明(村田経芳) - 国立公文書館
  23. ^ 狩猟用の銃砲の変遷  その2 ~当時のカタログ・資料より~ - Royal Hunting Club
  24. ^ 村田銃の払い下げ - 狩猟メモ
  25. ^ a b Nambu World: Murata Shotguns
  26. ^ 「○に十」の刻印が特徴で、政治家の十文字大元の兄でもあった。
  27. ^ 十文字信介(じゅうもんじ しんすけ)とは - コトバンク
  28. ^ 鉄砲・火薬の歴史(2) - Retire 「幹さん」のH/P
  29. ^ 日本狩猟百科、62-63頁。
  30. ^ a b 日本狩猟百科』、94-95頁
  31. ^ 散弾銃、紙・真鍮薬莢、銃用雷管、銃用黒色・無煙火薬など。現在では廃止規格になっている物が多い。
  32. ^ ▼火縄銃改村田銃 単発口径32番▼ - シューティングサプライ
  33. ^ 概ね慶応3年(1869年)以前に製造または渡来した銃で、文化財保護を担当する都道府県教育委員会が、美術品もしくは骨董品として価値があると判断して登録されたもの。
  34. ^ 日本狩猟百科、63頁。
  35. ^ 村田銃を撃ちに行きました。 - 半谷範一の「オレは大したことない奴」日記
  36. ^ 私の村田銃、ついに正体を確認しました。 - 半谷範一の「オレは大したことない奴」日記
  37. ^ ただし黒色火薬は勿論のこと、村田薬莢に適合する雷管として信号弾用の「はやぶさ雷管」が昭和金属工業を通じて現在でも売られており、真鍮薬莢も12番や20番、28番などの海外でも比較的一般的な口径であればMagtech社製のプレス薬莢や、Circle Fly社製の羊毛ワッズが現在でも個人輸入可能なため、スラッグ弾を鉛で鋳造するなどして、標的射撃や実猟を楽しむ者もごく少数ではあるが存在する。
  38. ^ 11x60 R Murata Mod. 1880 / MUNICION.ORG
  39. ^ 11 x 59 R Gras - MUNICION.ORG
  40. ^ 陸軍省大日記 明治14年 「大日記 局部 9月水 陸軍省総務局」
    陸軍省 1881年(明治14年)9月
    「二第@@二七号 @@第四十八号 当十四年度中村田銃其外製造@@@達相成度義伺 総水局第六〇三号 村田銃 同空@弾丸共 シヤスポー銃改造 右@@田銃其外製造之義予@東京砲兵工廠@年度之義ハ@@之通製造取計@達@相添此段相伺候也」
  41. ^ 陸軍省大日記 明治22年 「貳大日記 8月」
    監軍伯爵 大山巌 1889年(明治22年)8月12日
    「総監第四〇六号 弐第一六二五号 監軍部 士官学校ヘ改造村田銃廃銃渡方之件 議案 明治二十二年八月十二日 甲第七一六号照会士官学校生徒銃槍試合演習用トシテシアスポー改造村田銃廃銃渡方之件承認候也 陸軍省送達 送乙第二四三二号 砲兵第一方面ヘ在案 @@弐第一六二五号監軍部照会之趣承認候条渡方取計フヘシ 士官学校生徒銃槍試合演習用トシテシアスポー改造村田銃廃銃渡方相成及該校長伺出候旨将校学校監具申候条渡方相成度此段及照会候也 明治二十二年六月二十五日 監軍伯爵 大山巖 陸軍大臣伯爵 大山巖殿 シヤスポー改造村田銃廃銃御渡之義伺 シヤスポー改造村田銃廃銃 四十挺 右当校生徒銃鎗仕合演習用トシテ御渡相成度此段相伺候也」
  42. ^ 陸軍省大日記 明治18年 「大日記 9月 月 陸軍省総務局」
    陸軍省 1885年(明治18年)9月
    「電信局 陸軍省 @仲林@継@出@委@御打合相成度候也 総第二五三号 一第三五四九号 在靖国天津港@村田銃@貸渡度云ニノ義別紙ノ通波多野領事ヨリ申越@召@省御考案承@度右@相@ヘ此段申進候也 十八年九月十九日 井上@郷 大山陸軍@ 別紙 公信第五十一号 我陸軍省製造村田銃ハ精巧之良銃ニシテ殊ニ射的命中ニ宜敷トノ@当地ニ於テ評判高ク随テ清官并ニ他ノ外国人ニテ右銃ノ製法ヲ質問シ或ハ一覧ヲ請度旨申出@者モ有之@@製法ニ付テハ多少ノ説明ヲモ致@ヘモ何分實物ヲ有セサル@ニ付常ニ隔靴ノ憾アルハ免レサル所ニ有之@就テハ見本トシテ村田銃十五挺内長筒之分五挺短筒之分五挺仏国製シヤスポ銃改造ニ係ル村田銃五挺其筋ヨリ当館ヘ御貸渡相成候様致度@然ル時ハ前顕請求ニ應シテ一覧ヲ許シ實物ニ就テ其精巧ナル〜」
  43. ^ 十三年式のボルトフェイス自体は平面のため、本来は平たいリム底面の薬莢を使用しても何ら問題はない。後年の8mm村田弾や村田式散弾銃用薬莢は平たいリム底面の薬莢に変更されているが、30番真鍮薬莢のみは最後まで11mm村田弾と同様のリム底面形状で製造され続けた。
  44. ^ 伊藤眞吉 「鉄砲の安全(その2)」『銃砲年鑑』06-07年版、254頁、2006年
  45. ^ a b 1.小銃 - 日本の武器兵器.jp、須川薫雄
  46. ^ 大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』84頁。
  47. ^ Ned Schwing「Standard Catalog of Military Firearms: The Collector's Price and Reference Guide」ほか
  48. ^ Murata Type 13 versus Type 18 Rifles (Comparison) - Nambu World
  49. ^ 日清-日露 騎兵銃特集 - 自己満足的今日的情報
  50. ^ [1]
  51. ^ 大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』84頁。
  52. ^ 陸軍省大日記 明治22年 「伍大日記 5月」
    東京砲兵工廠提理 黒田久孝 1889年(明治22年)4月15日
    伍第五四七号 村田歩兵大佐以下二名欧来江被差遣度義上申 東京砲兵工廠附 陸軍歩兵大佐村田経芳 陸軍砲兵監護山崎与 陸軍六等技手渡邊栄英 近時欧米各国ノ軍用銃ハ弾道ノ低伸ト射程ノ遠大ナルトノ企図セシヨリ専ラ小口径連発銃ノ制式ヲ採用スルニ至レリ而テ本邦ノ如キモ両三年前ヨリ之レガ制式ノ研究ニ怠ラス終ニ今回村田連発銃ヲ制定採用セラル爾来製造ノ御達モ有之其製作ニ従事罷在候処該銃ノ制式タル素ヨリ軍用村田銃ニ比スレバ数層之精蜜ヲ要スルハ勿論間々製作法ノ困難ナル部分アリテ意外ノ工金ヲ費シ随テ銃器ノ製造費ヲ高貴ナラシムルノミナラズ姑息ノ製造法ヨリ竟ニ不良ノ銃器ヲ製出スルノ患モ有之頗ル苦慮罷在候就テハ銃器製作ノ方法或ハ職工使役ノ程度器械工具ノ使用法等欧米各国ノ製造所ニ就キ実地研究習学為致候得者前件許数多ノ困難ヲ排除シ良器ヲ低廉ニ製作スルノ鴻益ヲ収メ得ラルベキ事ト確信致候依テ前書村田歩兵大佐以下二名ヲシテ小銃製造法為取調欧米各国江被差遣候様致度此段意見及上申候也
  53. ^ 大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』86頁。
  54. ^ JapaneseWeapons.Net 須川薫雄 バンザイシュート報告
  55. ^ 大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』84頁。
  56. ^ 掌砲要務”. 2020年4月4日閲覧。
  57. ^ 大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』90 - 91頁。
  58. ^ 陸軍省大日記 密大日記 明治43年
    泰平組合 1910年(明治43年)4月19日
    密受第一五五号 泰平組合 旧式兵器拂下ノ件 銃密第三七号 指令 願之通聞届ク 但シ現品ノ受領代価納入等ノ儀ハ直接兵器本廠ヘ承合スヘシ 兵器本廠ヘ逹 村田連發銃 実包 右海外販売用見本トシテ拂下方泰平組合ヨリ願出認可候条拂下方取計フヘシ 陸密第七六号 但シ現品ノ@@代価納入等ノ儀ハ直接同組合理事呉大五郎ヘ指示スヘシ 泰陸第二十一号 拂下御願 二十二年式村田歩兵連發銃員革共 銃剣 彈藥合帯革剣差共 實包 右海外販売用見本トシテ御拂下被成下度此段奉願上候也 陸軍大臣子爵 寺内正毅
  59. ^ 射撃姿勢-1 - 藤田兵器研究所
  60. ^ Rifle Shooting Positions: The Offhand Stance - Firearms History, Technology & Development、2011年11月6日。
  61. ^ 小林叉七「村田連発銃使用法」川流堂、1895年12月
  62. ^ a b c 佐々木利正「軍隊必須軍事学教程 第1期 教育ノ部」河合卯之助、1897年5月
  63. ^ 陸軍省「村田連発銃及連発騎銃取扱法」小林叉七出張所、1904年1月
  64. ^ 撃茎を前進させる操作でデコッキングに同じ。薬室を閉鎖し引金を引いて撃鉄を落とす事が原則であるが、村田銃はコックオンオープニングの為、槓桿を一度起こした後、遊底を解放せずに引金を引きながら槓桿をゆっくり倒す事で、安全に撃茎を前進させる事もできる。
  65. ^ Rare Japanese Type 22 “Marauder” - collectorsfirearms.com


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