近隣諸国への供与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:48 UTC 版)
三十年式歩兵銃が採用されると、旧式火器となった村田銃の多くは猟銃に改造されて民間の銃砲店に払い下げられたり、学校教練用に用いられたが、一部は清国や朝鮮などの近隣諸国に供与された。 1898年6月にフィリピン革命政府(カティプナン)が、M.ポンセ・F.リチャウコの2名を、日本からの武器・弾薬の調達と支援獲得を求めて派遣した際に、日本滞在中の孫文・宮崎滔天の紹介で中村弥六、犬養毅らの口添えを受け、陸軍参謀本部から中古の村田銃などの払下げを得て、1899年7月に布引丸に村田銃を積んで出航するも途中で台風に遭って沈没するという事件(布引丸事件)が発生した。 太平洋戦争末期には、火器不足から他の旧式銃とともに村田銃も倉庫から引っ張り出され、本土決戦を控えた隣組の在郷軍人達に再配備されたと伝えられている。
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