大相撲入門・入門後とは? わかりやすく解説

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大相撲入門・入門後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:48 UTC 版)

嘉風雅継」の記事における「大相撲入門・入門後」の解説

学業学生相撲優先し卒業待って入門希望したため、卒業決まった後に尾車部屋入門し2004年平成16年1月場所初土俵踏んだ幕下付出資格有効期限タイトル獲得1年間であるため付け出し資格失いタイトルホルダーとして初め前相撲からの初土俵となった。もし力士にならなければ大分に帰京し教師になっていたと、御嶽海正代とで行った2018年鼎談語っている。大相撲進んだ理由として「アマチュア横綱になってから自分見失ってしまい、このままでは相撲嫌いになりそうであった」と後に2018年記事明かしている。 新弟子時代ちゃんこ番行っていた時、冷たいひき肉混ぜるのが苦痛であったと後に語っている。小柄であったため周囲角界入り反対することがあったが、角界入り1年相撲対すもやもや無くなったという。 それでも順調に番付上げて行き2004年平成16年3月場所には序ノ口優勝同年9月場所には三段目優勝し2005年平成17年7月場所十両昇進をはたす。大分県からの新十両は、2003年3月場所の垣添以来十両は3場所で通過その3場所全て勝ち越し)し、2006年平成18年1月場所当時史上2位タイ(現在は7位タイ)のスピード出世新入幕果たした大分県からの新入幕は、2003年9月場所の垣添以来。 しかし、その場所は初日からの4連敗もあり、5勝10敗と大きく負け越し幕内との実力差痛感させられた場所となった。翌3月場所十両陥落確実視されたが、東十両8目で11勝を挙げ新入幕有力視された琉鵬東前13目で4勝10敗1休で西十両4目まで番付を8半も落とされ栃栄らをよそに番付下降3枚にとどめ幕尻の西16目に残留その場所は8勝7敗と幕内初の勝ち越し決めた。翌5月場所も9勝6敗と勝ち越したが、それ以後幕内十両往復続いた2007年7月所以降は幕内定着し9月場所では幕内では自身初の2勝利となる10勝を挙げたが、翌11月場所は4勝11敗と大敗喫しその後1年以上幕内下位停滞していた。 突如開眼したのが2008年11月場所で、この場所は寄りでも押しでも前に出る攻めに力があって、千秋楽まで3敗で優勝争い絡んだ琴奨菊には力及ばず敗れはしたもの11勝4敗で初の敢闘賞受賞した。その好成績で翌場所は自己最高位大幅に更新する西前2枚目になり、その場所は6勝9敗と負け越したが、初日新大関日馬富士勝利したり、結果的に敗れたものの横綱朝青龍土俵際まで追いつめたりするなど、初の上位で大健闘ともいえる活躍見せたまた、相撲界においてはスマートな方で、軽量かつ均整取れており、性格はにかみ気品がありかわいらしい顔立ちから、女性ファン徐々に増やしていった。 2010年起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場勧告されたが、相撲協会処分再考委員会求めその結果賭け金少額だったとされ、最終的に謹慎処分はされずに7月場所への出場許可された。しかし、その7月場所では5勝10敗と大きく負け越してしまった。 2010年9月場所は初日から7連勝好調終盤まで優勝争い絡み11勝4敗で2度目敢闘賞受賞した。翌11月場所東前頭5目で8勝7敗と幕内上位初め勝ち越した。 2013年9月場所は2010年9月所以来となる初日から5連勝記録したが、右手有鉤骨骨折により11日目から休場した。翌11月場所休場明け序盤苦しむも、地元応援を背に千秋楽取り直しの一番を制して8勝7敗と勝ち越した。 2013年12月16日同年2月停年迎えた関脇富士櫻中澤榮男)が所有していた年寄株中村取得したこれまで高砂一門所属であった中村」は二所ノ関一門移った形となる。 2014年1月場所は10勝5敗と2010年9月所以来となる幕内2勝利好成績上げた。翌3月場所東前頭4目まで上がり大関稀勢の里撃破するなど健闘し10勝5敗と2場所連続の2白星挙げ3度目敢闘賞受賞。この活躍で、5月場所新三役(東小結)に昇進した新入幕から所要49場所での新三役は、史上4位のスロー昇進であり、321ヶ月新三役は、昭和以降8位の高年齢昇進となった大分県からの新三役は、2004年3月場所の垣添以来その場所は、6勝9敗と負け越したが、横綱日馬富士破った西前2枚目まで下がった7月場所も7勝8敗と負け越したが、横綱日馬富士を2場所連続破り、初金星史上最年長32歳3か月27日達成。翌9月場所も7勝8敗と負け越したが、2横綱日馬富士鶴竜)2大関豪栄道琴奨菊)を破った日馬富士戦では、相手反則負けによる勝利だったが、鶴竜戦で通算2個目の金星獲得西前頭4目で迎えた11月場所は、3日目取組負傷4日目日本相撲協会に「左大腿四頭筋不全断裂で約1か月治療要する」との診断書提出して休場7日目まで休場していたが、8日目から再出場。 東前頭8目で迎えた2015年7月場所は、6年負け越し続いている験が悪い場所だったが、11日目7年振りとなる勝ち越し決める。更に12日目の千代大龍休場による不戦勝得た幸運手伝って13日目まで優勝争い残り千秋楽も2横綱2大関破った関脇栃煌山出足圧勝過去2度あった11勝を上回る12勝3敗(横綱鶴竜と並ぶ優勝次点)の好成績挙げ4度目敢闘賞受賞した三役復帰目指す西前筆頭番付上げた9月場所は、2日目白鵬を、3日目には鶴竜の両横綱破り2014年7月場所の前頭3枚目・大砂嵐5日目鶴竜6日目日馬富士以来戦後17人目2日連続金星挙げたちなみに白鵬日馬富士鶴竜現役3横綱全員から金星獲得果たしたのは嘉風初めてである。また5日目琴奨菊6日目には豪栄道の両大関破り2014年9月場所(反則勝ち含む)に続いて平幕史上初の2度目の2横綱2大関撃破果たした。この場所は、終盤の5連勝もあって最終的に11勝4敗と3場所連続二桁勝利を挙げる活躍見せ殊勲賞と技能賞をW受賞した小結復帰した11月場所は8勝7敗と二桁勝利には届かなかったものの2場所連続2度目技能賞を獲得した。 翌2016年1月場所は新関脇昇進(西関脇)。大分県からの新関脇1957年1月場所玉乃海1998年7月場所千代大海以来戦後3人目新入幕から59場所掛かって新関脇兄弟子豪風68場所)に次ぐ史上2位スロー記録であり、33歳9カ月戦後6位の高齢昇進となった。この昇進受けた会見で、師匠尾車は「私は早く現役辞めたが、弟子はじっくり育った両方味わえ幸せ」と満足そう語っていた。この場所は、横綱から星は挙げられなかったが2大関豪栄道稀勢の里)を破り千秋楽対戦成績5勝12敗と分の悪い栃ノ心寄り切って勝ち越し決めた3月場所東関脇として臨んだが、大関以上から2勝を挙げたものの平幕力士相手に星を取りこぼすことが多く、4勝11敗に留まった。7月場所では5日目逸ノ城戦で右目のまぶた付近裂傷し、報道上で独眼竜」と呼ばれるような状態になったが、横綱日馬富士から金星挙げ殊勲賞も獲得した2017年3月場所は10日目鶴竜対戦。まず、激しく突き起こし、左を差して懐へ飛び込んだ鶴竜には引き技があることを頭に置きながらも攻め手緩めず土俵際懸命に回り込む横綱逃さず、頭も付けてしっかりと密着そのまま寄り切って金星獲得勝負の後のインタビュー嘉風は「ここ数場所ははたかれて負けていた。止まったらあのはたきを食う」「一呼吸も置かなかったのが良かった」とコメント土俵下の藤島審判長(元大関武双山)も「元気いっぱい相撲20代前半動きだ」とたたえた。この3月場所3日目からゾーン入っており場所の記憶がなかったという。4月8日春巡業藤沢場所では藤沢場所名物幕内力士トーナメント優勝を果たすなど好調示した本人はこれに関してトーナメント形式取組では日体大時代アマチュア選手権優勝した以来かな」と笑顔見せた5月場所1年以上ぶりとなる三役復帰初日稀勢の里破って懸賞金54本を獲得。その取組後「この相撲で納得できないと言えば横綱に失礼。150点です。懸賞54本? 今日母の日なのでカーネーション500買って帰ります(笑)」とコメント14日目に勝ち越し決め、場所成績は8勝7敗であった技能賞を獲得本人は「2横綱1大関勝っていたから殊勲賞かと思っていたが、うれしい。また上取れるので来場所が楽しみ」とコメント7月場所は東小結迎え初日にいきなり日馬富士を破ると2日目には豪栄道撃破4日目鶴竜不戦勝として、開幕からの連勝を4とした。しかし5日目白鵬敗れるとここから4連敗。しかし9日目に高安破り、これを含めて5連勝とし、一気勝ち越し決めた千秋楽では勝てば2場所連続となる技能賞の受賞かかっていたが、優勝争い一角である碧山敗れてそれはならなかった。それでも不戦勝含め2横綱2大関を破る活躍で9勝を挙げた35歳上で三役上がり、2場所連続勝ち越したのは、1959年1月場所玉乃海以来戦後2人目。2017年9月場所は初日から不調で4連敗。しかしその後復調し8連勝勝ち越し成功した14日目に6敗目を喫するまで優勝争い加わっていたが、終わってみれば8連勝以外はすべて黒星で8勝7敗。星取典型的なツラ相撲であった。この場所で35歳上で三役上がり、3場所連続勝ち越したという史上初の記録達成し同時に4度目技能賞を獲得関脇で4連敗スタートから勝ち越したのは戦後15日制下で5人目過去の4人はその後大関昇進している。11月場所前、二子山(元大関雅山)は「上位陣が大量に休場しているのに8番で受賞は甘い」と論評しており、二子山は「個人的に嘉風と同じファイト相撲千代の国も9勝しましたし、見ていて面白相撲取りますので、受賞して良かったような気がします」と意見述べている。 2018年1月場所は東前2枚目の地位土俵上がり、先場所に続いて白鵬に土を付けた。これに関して記者から「白鵬キラー襲名ですか」とコメントされた。しかしそれ以外良い所無く、4勝11敗と上位の壁に阻まれた。因みに白鵬に対して関脇以下力士連勝したのは、安馬(後の日馬富士)、稀勢の里鶴竜豪栄道琴奨菊続き史上6例目。翌3月場所はこの2年半でもっとも番付が低い西前頭7目まで番付下げたが、序盤から星が上がらず連敗中の9日目には千代の国破って連敗を4で止める同時に通算600勝を自身誕生日決めたが、そこから持ち直せ11日目負け越し決定。しかしそこから4連勝として負け越し1つ留めた。9月場所はこの場所の関脇以下では最高成績となる11勝を挙げ推薦自体無条件でされたが、選考委員過半数得られず、受賞はならなかった。この場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしの珍事であり、当の嘉風は「前頭15目に番付下げこれくらい勝って当然という評価逆にありがたい」と前向きに受け取った

※この「大相撲入門・入門後」の解説は、「嘉風雅継」の解説の一部です。
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