大相撲力士時代
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野洲中学校、八幡工業高校時代は、柔道、水泳、ラグビーなどで活躍。とりわけ柔道に関しては嗜み程度の稽古で2段という傑出した才能の持ち主であった。講道館の支部長が当時の時津風親方(元横綱・双葉山)と知り合いであった縁で、高校を中退し時津風部屋に入門、1968年(昭和43年)9月場所で初土俵を踏んだ。当人は「双葉山最後の弟子」と称していた。初土俵から程なく、師匠・双葉山が死去、時津風部屋は元横綱・鏡里喜代治が1場所だけ師匠を務めて、元大関・豊山勝男が師匠となり、以降は引退まで豊山を師匠として土俵を務めた。 下位時代から腰痛の持病に悩まされており、それが祟って幕下で4年足踏みし、初土俵から新十両昇進まで40場所を所要した。 新入幕の頃は期待の新鋭と目された。相撲好きであった昭和天皇も目をかけていた一人で、天覧相撲の時、説明役についた春日野理事長(元横綱・栃錦)に「蔵間はどうなの?」と尋ね、春日野は「あれは大関になります」と答えた。 左四つがっぷりに組んでの吊り寄り、右上手投げを得意とし、横綱・北の湖には17戦全敗と一度も勝てなかったが長い相撲で苦しめることが多く、千代の富士(のち、横綱)には新大関に昇進した場所で勝っている。新三役の1978年3月場所では貴ノ花、三重ノ海を破って技能賞を獲得し、5月場所では自身にとって最初で最後の関脇の地位に就いた。しかし、あまりにも左四つがっぷりで攻めの遅い取り口と執念に欠ける性格のため、上位陣との取組で得意の型となって善戦はしても大きく勝ち越すことがなく「善戦マン」と呼ばれた。腰痛の持病を抱えていたことも大成を阻んだといえる。1978年(昭和53年)1月場所での10勝が最高で、その後はいわゆる「エレベーター力士」に終始した。対横綱戦は2勝44敗と極端に横綱に弱い部分があった。それでも、1981年5月場所は腰痛が快方に向かっていたため調子が良く、この場所初日には若乃花から金星を奪っている。その1番は、左四つ十分で寄り立ててきた若乃花を、土俵際で逆転の小手投げを放ち、絵に描いたように裏返しにして見せた、という内容であった。 春日野の言葉をのちのちまで覚えていた昭和天皇もこれを歯がゆがったのか、「蔵間、大関にならないね」とこぼした。春日野は「私は陛下に嘘を申し上げました」と言って謝罪し、その後当人を理事長室へ呼んで「俺は天皇陛下にウソを申し上げてしまった。しっかりしろ」と叱責したという。 全盛期には美男ぶりと巧みなトークを売りに若三杉(後の横綱・2代目若乃花)と女性の人気を二分した。私生活も派手で大関の望みが消えてからは横綱・輪島を意識してリンカーン・コンチネンタルを乗り回し、千葉県市川市には蔵間御殿と呼ばれる豪邸を建て、夫人に女優の渡辺やよいを迎えた。 21年間の現役生活を通して、本名の「蔵間」を四股名とした(ただし、下の名前に関しては龍也→龍矢→龍也→豹牙→竜也と改名している)が、一度故郷の三上山の異名である「近江富士」への改名が持ち上がった。しかし、ちょうど同じ頃その三上山で深刻な害虫災害が発生、縁起が悪いということで立ち消えになった(地元後援会が「滋賀の近江富士は低い山でスケールが小さい」と猛反発してお蔵入りになったという説もある)。なお、甲賀郡信楽町(現・甲賀市)出身の三杉里が新入幕を果たした1988年(昭和63年)5月場所で蔵間も再入幕しており、この場所のみ滋賀県出身幕内力士が複数存在した(蔵間引退後には彦根市出身、かつ時津風部屋の後輩に当たる蒼樹山が入幕し、三杉里と合わせ複数となった場所がある)。 長身で美形な故に人気力士であった。「大器」の呼び声が高かった力士としては物足りなかったが、強力なタニマチを持ち横綱大関を諦めてからは平幕中位に腰を据え(時折小結には顔を出した)、長く活躍を続ける蔵間のような生き方は多くの力士の憧れであった。一晩に100万円を使うほどの遊びぶりであったと伝わる。「最近の新弟子は、蔵間を見習って稽古をしようとせず、女の子の尻ばっかり追いかけまわしている」と、親方たちは渋い顔をしていたという。 1989年(平成元年)の9月場所前の健康診断で、慢性骨髄性白血病と判明(なお、本人が事実を明かして同情されることを嫌ったこともあって、当時公式には脾腫による1か月の加療と発表されていた)。9月場所限りで現役を引退し年寄・錣山を襲名したが、病気のため1990年(平成2年)6月に廃業し、協会から去った。現役時代から、JR総武線・都営新宿線本八幡駅前で「相撲茶屋・蔵間」を経営していた。また、蔵間の引退により双葉山定次が師匠の時代に入門した時津風部屋の力士は全員引退をした。
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