大相撲力士時代のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 18:12 UTC 版)
「戦闘竜」の記事における「大相撲力士時代のエピソード」の解説
アメリカ合衆国出身の非日系力士で関取に昇進した力士は多いが、ハワイ州以外の州の出身者では、戦闘竜が唯一である(東京都立川市出身だが、本籍はミズーリ州)。 戦闘竜と英語で日常会話が出来るようにと元幕下・小倉錦(現在はタレント、イベントプロデューサーの殿畑大作)が師匠の友綱(元関脇・魁輝)に「学費を出していただけるなら僕が勉強します」と申し出て英会話教室に通って英会話が出来るように努力したが、結局1年後には戦闘竜が日本語を覚えてしまったので小倉錦の英語学習は打ち切りとなった。 新十両となった場所に、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉を描いた化粧まわしを部屋の後援会から贈られた。なお当該作品の76巻で両津が乗っているパワーボートの名前が「戦闘竜」である。 立合い頭から当たる取り口の影響からか、20代後半から髪が薄くなってしまい、十両復帰を目指していた1997年から1999年の時期には、同部屋の兄弟子魁皇から、「早く十両に戻ってこないと、大銀杏が結えなくなっちゃうよ。」と発破をかけられていたという。 1964年3月場所に高見山が入門して以降アメリカ合衆国出身力士が絶える事は無かったが、戦闘竜が引退した2003年11月場所番付では他に武蔵丸しかおらず、武蔵丸も場所中に引退していた事から、戦闘竜の引退と同時にアメリカ合衆国出身力士が0人となった。 同部屋の魁皇と大の仲良しで親友だった。1995年~1998年は相次ぐ膝や肩の怪我で番付がかなり落ちてしまい辞めて帰国しようかという状況だったが、魁皇にすごい剣幕で説得され真剣に引き止められた事で奮起して幕内に昇進した。2000年5月場所で魁皇が初優勝した時も、言葉を交わす事なく握手し抱き合い涙を流していた。 2001年7月場所、何度も立ち合いで逃げて変わられてる玉力道に、仇討ちの一発ノックアウトで勝った取り組みがある。2000年の11月場所で怪我で休場させられてる恨みも晴らした。 2000年9月に結婚。
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