大相撲入りとは? わかりやすく解説

大相撲入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:48 UTC 版)

琴ヶ濱貞雄」の記事における「大相撲入り」の解説

宮崎県で馬の仲買人長男として生まれ、後に香川県移った幼い頃から大柄な体格17歳時には身長169cmに達した高等小学校卒業する父親早世した影響1944年9月海軍志願、その体格から上官見出され海軍相撲に参加することになった敗戦により軍が解散する故郷帰ったが食うに困らないとの理由力士になろうと思い同郷初代琴錦紹介してもらい、二所ノ関部屋入門した1945年11月場所本名の「宇」で初土俵を踏む。 琴ヶ濵の四股名は、後に師匠となる琴錦海岸浜辺)にある観音寺にちなんで、行司7代目式守錦太夫命名した素質には恵まれなかったが大変な稽古熱心で地力をつけ、翌年入門した若ノ花との稽古激しさ今でも当時知る人の間で語り継がれている。猛稽古打ち込んだきっかけは、入門し間もない若ノ花負け越し、彼を元気づけようと共に蕎麦食べ行こうとしたところ、力道山から脱走しようとした誤解されたためだった以来力道山から目を付けられ若ノ花同様に命の危険を感じるほどの猛稽古させられた。いつまで体重が軽いままだったのも「稽古し過ぎるせいだ」と評された(そもそも部屋アンコ型がいなかったという)。後によき稽古相手であると同時に親友でもある若乃花横綱昇進する土俵入りでは太刀持ち務めた鍛え上げた赤銅色体躯精悍な面構えで「南海の黒豹」とあだ名された。 1946年左足負傷、これが琴ヶ濵の運命決めた左足庇い浮かせぎみにして相撲を取るようになったが、これを有効に利用する方法考え内掛けを使うようになった兄弟子である玉指導により腰で廻しを切る稽古行って威力増したが、あまりの熱心さに負傷して便所行けなくなることさえあった。腰を使って廻しを切り、相手再度取ろうと手を伸ばしたところで左足飛ばし鎌で刈り払うがことく決め内掛け威力から「内掛けといったら琴ヶ濵、琴ヶ濵といったら内掛けと言われるようになった内掛けは1場所に5番ぐらいしかけており、琴ヶ濱が5回受賞した技能賞は「内掛け賞」とも言われた。

※この「大相撲入り」の解説は、「琴ヶ濱貞雄」の解説の一部です。
「大相撲入り」を含む「琴ヶ濱貞雄」の記事については、「琴ヶ濱貞雄」の概要を参照ください。

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