口噛み酒とは? わかりやすく解説

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口噛み酒

(口嚼酒 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/09 14:10 UTC 版)

口噛み酒(くちかみざけ)は、などの穀物やイモ類、木の実などを口に入れて噛み、それを吐き出して溜めたものを放置して造るのこと。古代日本、アイヌ沖縄奄美群島で作られていたほか、中南米アフリカなど世界各地に見られたが、アマゾン低地などに残存する以外ほとんど消滅した[1][2]真臘では女性が醸すことから「美人酒」と呼ばれていた[3]。また、人為的に造る酒の発祥は口噛み酒であるという説がある[4]

日本列島への渡来時期は不明で8世紀の記録が残る[5]。渡来時期や製法、文化を考えると、同じく米を原料としている日本酒の原形とはなり得ないと考える説がある[3][6]

製法

デンプンを持つ食物を口に入れて噛むことで、唾液中のアミラーゼがデンプンを糖化させる。それを吐き出して溜めておくと、野生酵母発酵してアルコールを生成する。これが口噛み酒である。

原料は生のまま口に入れて噛む製法の他には、原料を煮炊きしたり、原料を酸敗させた後で口に入れて噛む製法がある[3]。原料を煮炊きすることで糖化しやすくなる[3]。この製法は、台湾高砂族で用いられていた[3]。また、原料を酸敗させることで乳酸による酸性下での発酵となるため、雑菌の繁殖を抑えることができる[3]。これはラテンアメリカチチャ(の祖先)などの製法である[3]

溜めたものに水を加えて発酵を促進させる場合もある[3]。これは中国醸造酒の影響を受けたものである[3]

歴史

発生地は不明ではあるが、穀物以外のデンプンを含んだ植物を食べていた東南アジアから南太平洋域が有力とされる[3]。これらの文化圏と米が伝播していったアッサム地方雲南からの稲作文化の融合点であるマレーシアなどの東南アジアが、米で造る口噛み酒の発生地として有力[3]

いつごろからかは明らかでないものの、中南米では大航海時代において白人との接触が起こるまでは、広範囲に口噛み酒の文化があった[7]。アマゾンの低地[1]やアンデス高地[7]では現在でも作られている。原料は、中米からアンデス山脈までの範囲ではトウモロコシ、アマゾン側ではマニオクを主に使用していた[7]

また、『魏書』卷一百 列傳第八十八 勿吉國に「嚼米醞酒 飲能至醉」と沿海州モンゴルなどでも米を原料とした口噛み酒を醸していたという記述がある[3]。(『北史』卷九十四 列傳第八十二 勿吉國「嚼米為酒 飲之亦醉」)

日本

日本列島での米の口噛み酒は、縄文時代後期以降であると考えられている[3]。『大隅国風土記』の逸文に、酒を造ることを「かむ」というとあり、大隅国では、水と米をある家に用意し、村中に告げ回ると男女がその家に集まって米を噛んで酒船(酒専用の容器)に吐き入れたのち帰宅し、酒の香がしてきたころにまた集まって、噛んで吐き入れた者たちが飲む、これを口噛の酒と呼ぶ、とある[8]。各国の風土記(古風土記)は8世紀前半までに編纂されたとされるが、8世紀初頭に書かれた古事記日本書紀に口噛み酒の記述が滅多に見られないことから日常的ではなかったと思われる[9]

沖縄では、蒸留酒である泡盛が普及する以前は、人の唾液による発酵作用を利用した口噛み酒が一般的で、沖縄諸島では近代まで祭事用に口噛み酒をつくっていた[10]。身を清めた女性たちが生米を噛んだり、塩できれいに歯を磨いたりしてから、炊き立ての米の飯を丹念に噛んで、容器に吐き出し、それに少しばかりの水を混ぜ、石臼で挽いてどろどろにし、甕に入れて発酵させた[10]。沖縄本島ではこのような酒をウンサク(ウンシャク)、ミキ、ミチ、宮古ではミキ(ンキイ)、八重山ではミシャグ、ミシュ(ミス)などといい、これらはいずれも「神酒」としての意味合いがある[10]。沖縄では既に口噛み酒は作られていないが、伊平屋島、宮古や八重山の一部では昭和10年代初め(1930年代)まで作られていた[10]

神事と口噛み酒

大和古代日本)や台湾では、口噛み酒は神事の際にも造られていた[3]。このため、神事で醸す場合には、原料を口で噛む人間として巫女処女が選ばれていた[3]中国の使者はこれを「米寄拼音:mǐjì〈日本語音写例:ミィーチー〉)」等と表記した[要出典]琉球地方でも同様に「ウンシャク[11]」「1日の酒[11]」など島々によって様々な名で呼ばれる口噛み酒が神事のために造られており[11]明治時代までの沖縄地方でも祭事の際にサトウキビの茎で歯を磨いた少女たちが米飯を噛んで酒を造っている地域があった[12]

「醸す」の語源

日本語において「醸造」を表す動詞「カモス(醸す。繁体字使用形:す)」は、「口噛み酒」という語の構成要素である「カミ(噛み)」と同根で、「カム(噛む)」が語源であるとする説がある[4][13]。しかし、昭和時代の醸造学者・住江金之は、1930年(昭和5年)刊行の著書『酒』(西ヶ原刊行会)にて、「カモス(醸す)」と「カム(噛む)」は別系統の語であると指摘したうえで、「カモス(醸す)」とその原形である「カム(醸)」、および、「カム(醸)」の異形である「カブ(発酵して かびが生じること)」は、相通じていると分析し[4]、以来、住江の説が多くの支持を集めている。なお、住江の説を支持する立場においては、後述する「古典」節での主張は全て否定される。

古典

ここでは、口噛み酒について触れている可能性のある古典を紐解く。 なお、この節における解説は、「『醸す』の語源」節で記述した住江の説とは相剋関係にある。

古事記[12]の上巻・仲哀天皇の段に収められている「酒楽の歌[* 1]」には、次のように歌われている。忠臣・ 建内宿禰命 たけうちのすくねのみこと武内宿禰)に随伴された即位前の 太子 おおみこ 品陀和気命 ほむだわけのみこと。即位後の応神天皇)が、 高志こしのみちのくち[* 2] 角鹿 つぬが(のちの越前国敦賀、今の福井県敦賀市)の行宮 笥飯宮 けゐのみや」(のちの氣比神宮)でのを終えて大和の宮へ帰り着くと、無事の帰りを待ちわびていた太子の母・ 息長帯日売命 おきながたらしひめのみこと神功皇后)は、醸しておいた待酒[* 3]に歌一首を添えて献じ、宿禰もこれに応えて一首詠んだ。皇后と宿禰の詠んだ二首を合わせて「酒楽の歌」といい、以下に示すのは、宿禰の詠んだ一首である。

原文》 ( 未 編 集


書き下し文》 この 御酒 みき みけむ ひとは その つづみ うす てて うたひつつ醸みけれかも ひつつ醸みけれかも この御酒の 御酒の あやに うた たのし ささ


口語訳例》 この御酒醸した人は、そののように使って、歌いながら醸したからか、舞いながら醸したからか、この御酒の、御酒の、なんとまあ楽しいことよ。さあさあ。

万葉集』 - ここで取り上げる和歌に詠まれている酒の実際が何であるかについては、で造った酒とする説が一般的ではあるものの、口噛み酒である可能性も否定できない。

例歌1
《原文》 為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手[14]


《書き下し文》 きみがため みし 待酒 まちざけ やす ひとりや まむ 友無 ともなしにして


《口語訳例》 君と わそうと かもしておいた待酒[* 3]なのに、(いつも酒を酌み交わしていた)安の野[* 4]に(私を置き去りにして、君は大和へと旅立ってゆく。私は…)友も無く独り酒を飲むことになるのか。 — 大伴旅人, 巻4-555:天平元年(729年)頃の歌。

例歌2
《原文》 味飯乎 水尓醸成 吾待之 代者曽<无> 直尓之不有者[15]


《書き下し文》 味飯 うまいひ みづ ちし かひはかつてなし ただにしあらねば


《口語訳例》 美味しく蒸したご飯でお酒を造り、 貴男あなたさまをお待ちしておりましたのに、その甲斐は全くありませんでした。貴男様ご自身がおいでにならないのでは…。 — 車持氏娘子(くるまもちのうぢのをとめ), 巻16-3810:時期不明。

塵袋』 - 巻九の飲食のくだりに、以下の内容がある[16][17]

《原文》 ≪…前後文省略…≫ 大隅ノ國ニハ 一家ニ水ト米トヲマウケテ 村ニツゲメグラセバ 男女一所ニアツマリテ 米ヲカミテ サカブネニハキイレテ チリヾニカヘリヌ 酒ノ香ノイデクルトキ 又アツマリテカミテハキイレシモノドモ コレヲノム 名ヅケテクチカミノ酒ト云フト云云 風土記ニ見エタリ


《書き下し文》 大隅国 おほすみのくにには、 一家 いつかに水と米とを まうけて、村に 黄楊 つげ めぐらせば、 男女 だんぢよ 一所 ひとところに集まりて、米を噛みて、 酒槽 さかぶねに吐き入れて、 りに かへりぬ。酒の いでくるとき、 また集まりて、噛みて吐き入れし 者共 ものども これを飲む。名付けて口噛みの酒と ふと 云々 うんぬん風土記に見えたり。


《口語訳例》 大隅国においては、ある家に水と米とを用意して、村の周囲には黄楊を廻らせておき、男女が一箇所に集まったうえで、米を噛んで酒槽に吐き入れた後、それぞれに帰る。酒の香りが出てくる頃になると、皆が再び集まって醸された酒を飲む。これを名付けて「口噛みの酒」といい、このようなくだりを『風土記』に見ることができる。

近現代の研究

2004年(平成16年)、東京農業大学教授(当時)の小泉武夫が研究室の女子学生4名に口噛み酒の実験をさせたところ、3日目の夕方から発泡が始まり、10日目に発酵が終わってアルコール度数が9.8%の酒ができていた。米を噛んでいる時に耳の側が痛くなったという体験者のコメントから、このようなことが「こめかみ」の語源になっているという推測もなされた[18]

脚注

注釈

  1. ^ 「酒楽」の読みは「さかほがい」、歴史的仮名遣では「さかほがひ」、古くは「さかほかい」。しかし「さかくら」と読ませる資料も多い。意味は酒宴を開いて祝うこと。
  2. ^ 高志前 こしのみちのくち」は、「高志/越の道の口」と書き換えることもできる地域名称で、「(当時は大和)から下る道中において、越国の中で最も手前にある地方」、すなわち、のちの越前国を指す。
  3. ^ a b 待酒 まちざけとは、帰り来る人を待ちながら、旅の安全と無事の帰還を願って造る酒。
  4. ^ 太宰府の所在地に近い、筑前国夜須郡夜須村(現在の福岡県朝倉郡筑前町夜須)辺りにあった野原

出典

  1. ^ a b 石毛直道の発酵コラム第4回酒”. キリン食生活文化研究所. 2019年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月8日閲覧。
  2. ^ 安渓貴子「アフリカの酒 サハラ以南の地酒づくりの技術誌のための覚え書き」『日本醸造協会誌』第97巻第9号、2002年、629-636頁、CRID 1390282681079511296doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.97.629 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 加藤百一『日本の酒5000年』(1版1刷)技報堂出版、1987年2月25日、13-19頁。 ISBN 4-7655-4212-2 
  4. ^ a b c 外池良三 編『世界の酒日本の酒ものしり辞典』(初版)東京堂出版、2005年8月15日、69頁。 ISBN 4-490-10671-8 
  5. ^ 竹田正久、門倉利守、中里厚実「口かみ 「もろみ」 の発酵と微生物」『日本醸造協会誌』第94巻第11号、1999年、933-942頁、 CRID 1390282681079675136doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.94.933 
  6. ^ 口噛み酒”. お酒の事典. 月桂冠. 2009年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月30日閲覧。
  7. ^ a b c 石毛直道『世界の食べもの 食の文化地理』講談社〈講談社学術文庫 2171〉、249頁。 ISBN 978-4-06-292171-8 
  8. ^ 万葉神事語辞典 酒”. 國學院大學デジタルミュージアム. 2021年1月21日閲覧。
  9. ^ 【第八巻】日本酒の歴史(前) 米を使った古代の酒造り”. 菊正宗日本酒図書館. 2016年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月16日閲覧。
  10. ^ a b c d 吉田竹也、戸田結子、近藤安里紗(編)、2012年3月15日『2011年度「フィールドワーク(文化人類学)I・II」調査報告書 (PDF)』(レポート)、南山大学人文学部人類文化学科、47頁。2018年5月25日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2016年11月1日閲覧
  11. ^ a b c 萩尾俊章「沖縄における神酒と泡盛の諸相」『沖縄県立博物館紀要』第18巻、1992年、 CRID 1390854882620347648doi:10.24484/sitereports.117350-33839 
  12. ^ a b 小泉武夫 編『酒の話』講談社〈講談社現代新書〉、1982年12月20日、20頁。 ISBN 4-06-145676-8 
  13. ^ 日本酒のいわれ”. お酒の事典. 月桂冠. 2009年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月30日閲覧。
  14. ^ 万葉集第四巻 相聞”. Japanese Text Initiative. The University of Virginia. 2009年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月16日閲覧。
  15. ^ 万葉集第十六巻 有由縁并雜歌”. Japanese Text Initiative. The University of Virginia. 2009年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月13日閲覧。
  16. ^ 『塵袋』 11巻、[9]、12頁。NDLJP:2596437/12 
  17. ^ 「風土記逸文」〜西海道”. 国土としての始原史. 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月13日閲覧。
  18. ^ 小泉武夫『人間はこんなものを食べてきた 小泉武夫の食文化ワンダーランド』日本経済新聞社、2004年2月1日、157-159頁。 ISBN 4-532-19215-3 

関連文献

  • 山本紀夫 編著「口噛み酒の杯はめぐる-エクアドル・アマゾン」『酒づくりの民族誌 世界の秘酒・珍酒』(増補)八坂書房、2008年3月。 ISBN 978-4-89694-907-0 

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