作品総論
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平の作品は一貫して、色彩的で繊細な音響の中に鋭い緊張感を含んでいる。ソロの器楽曲から大規模なオーケストラ曲、あるいは打楽器などのような特殊な編成に至るまで、緻密で繊細な楽器法や管弦楽法を駆使し、直接認識されない残響の中で緊張感を制御する書法に長けている。静寂の中に祈りを見出すという自身の言葉は、ドビュッシーに代表されるフランス近代音楽の色彩に関する鋭い感覚と、日本の伝統音楽の持つ音と音の隙間における見えない緊張感の駆け引き(いわゆる「間(ま)」と呼ばれる)を良く表している。 最初期には上述の直接の師匠に当たるメシアン、デュティユー、ジョリヴェなどの近現代フランス音楽のほか、一部の平に関する文献に見られるように、一世代上に当たる武満徹や湯浅譲二の作品(彼らの属したグループ「実験工房」は詩人瀧口修造や前述の秋山邦晴をはじめとするメンバーたちの交流によって、その同時代のフランスの文学や芸術には驚くほど精通していた)また同世代の日本の作曲家たち、特に八村義夫との相互の影響(これは個人的親交といった視点を超えて、相互の作品に見られる様々な音響の類似点が挙げられるだろう。八村の曲では管弦楽曲「錯乱の論理」やチューブラーベルの長い冒頭ソロを含む室内楽曲「星辰譜」などを参照のこと)、そして何といっても日本には早くから多くの情報が伝えられていたダルムシュタット夏季現代音楽講習会におけるブーレーズをはじめとする初期ダルムシュタット楽派の動向を無視することは出来なかった。しかしパリに来たことによって逆に平は日本文化の再認識に直面し、以後独特の作風へと到達する。 それまで意識して避けていたペンタトニックに基づくメロディラインを積極的に用いるようになったのは1970年代に入ってからだが、これは平本人の証言によると文楽のパリ公演を見たことがきっかけだという。具体的には1973年の弦楽三重奏曲ディオプタズからこの兆候は顕著に現れる。確かに彼の曲の一部分、特に弦楽やピアノパートにおいては、メシアンを思わせる房状和音が一種独特のメロディラインを形成して並んでいるが、これの各行を良く見るとペンタトニックを思わせる長二度や短三度を形成しているのが読み取れる。また5や7の数に基づくリズム書法も多く見られるが、これも本人の言によると和歌など日本語の韻律に基づくのだという。しかしこれはペンタトニックや和歌の韻律のあからさまな引用ではなく、むしろ音響や不合理リズムを追求した上での到達点と見るべきであり、日本文化の影響という視点ではやはり前述の通り残響に含まれる緊張感という次元で捉えるべきだろう。 1980年代に入ると、大規模な作品は影を潜め、音響も激しい断絶よりは高度に調和の取れた和声法や管弦楽法に基づく連続的かつ流動的な書法に変化していった。2000年のNHK-FM海外現代音楽特集での猿谷紀郎の解説では、丁度その時放送された平の中規模の室内アンサンブル曲「デルタ」が1980年代以降の彼の音楽のプロトタイプに当たると述べていたが、まさにその頃からの書法の変化は「ポリエードル」などの管弦楽曲に良く現れている。室内楽曲でも、編成として好んで用いたフルートやピアノなどの楽器法のこれらの年代における変化は容易に読み取れるだろう。晩年の「彩雲」や「レトゥール」ではさらにこの流動的な書法が顕著になっているが、しかし決して安易な過去の音楽への回帰(例えば明らかな調性感や単純な反復によるリズム感など)には手を染めなかったことは、彼の作曲に対する厳格な態度を一貫させたと言えるだろう。
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作品総論
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オウィディウスの旧来の捉え方は、恋愛エレギーア詩という文学ジャンルの掉尾を飾る詩人であって、恋愛エレギーア詩の決まりごとを自家薬籠中のものとして多彩な詩を詠んだ詩人というものである。確かにオウィディウス作品では栄誉や名声といった叙事性よりも、個人的感情といった叙情性や主題性に重きが置かれるが、これはアウグスティヌス帝による帝国全土の平定によりもたらされた相対的な安定の時代を反映したエレギーア詩の様式美であるというのが定説である。 この点で、オウィディウスの作品を通して示される詩人のペルソナは、カトゥッルス、ティブッルス、プロペルティウスら、他の標準的なエレギーア詩人と同じようなものである。ところが、 詩人が熱を上げる貴婦人コリンナと作品の内容との関連は薄い。また、テクストに込める感情を真に迫ったものとするために、オウィディウスが独自の工夫を行った痕跡は、他のエレギーア詩人よりも弱い。また、コリンナが実在の人物とすれば誰に当たるのかという問題は、手がかりが何もない。以上のようなことから、コリンナは実在の人物ではなく、詩人と彼女の関係は作品を創造するための文学的虚構であると考えられている。コリンナはエレギーア詩というジャンルそれ自体のアレゴリー(擬人化)であるという解釈もなされている。 なお、カトゥッルス、ティブッルス、プロペルティウスらの恋愛詩は個人的体験に基づくものであるとされているが、彼らの作品を「自伝として」読むことの是非には、学術的な論争が絶えないポイントである。彼らの詩が自伝的ないし客観的事実との関係を少ししか持たないという考えは、エレギーアを研究する現代の古典学者のほとんどが認めるようになっている。 オウィディウスは伝統的なエレギーア詩の形式を巧みに用いて創意にあふれた恋愛詩を詠い、恋愛という主題を入念に掘り下げた詩人であると考えられてきた。例えば、クインティリアヌスはオウィディウスを「ふざけて陽気な哀歌詩人」と読んだ。オウィディウス作品には、古い形式を新しい方法で用いた作例がいくつかある。例えば『愛の歌』1.6 では「パラクラウシテュロン(英語版)」という古めかしいモチーフを用いた。他方で、オウィディウス以前に同様の作例がまったく見つからないエレギーア詩もあり、例えば、コリンナが髪染めに失敗してしまったときの歌(Am. 1.14)がこれに相当する。これらはオウィディウス独自の文学的革新と考えられている。 また、オウィディウスは他のエレギーア詩人たちよりも性的主題を詩の中で赤裸々に表出した詩人であるとも考えられてきた。取り上げられた性的主題と論点は多種多様である。『愛の歌』ではオウィディウス自身とコリンナの恋愛に焦点が当てられ、神話伝説上の人物の恋愛が『名婦の書簡』の主題であった。『恋の技法』やその他の教訓詩形式の詩では「科学的見地から」異性と関係を持ち誘惑する方法の手引きを提供した。オウィディウスのエレギーア詩の中には、数え上げ、効果的な驚きの挿入、一時的な比喩の多用といった表現技法が見られ、これらはオウィディウスが受けた修辞学の教育の影響があるとする研究もある。 『祭暦』のような恋愛エレギーア詩でない作品においても、オウィディウスの恋愛エレギーア詩好みの影響は顕著であると、よく注釈される。オウィディウスのエレギーア様式は、叙事詩の様式と明確に区別される。ドイツの古典文献学者リヒャルト・ハインツェ(英語版)(1867 - 1929)は著書 Ovids elegische Erzählung (1919) の中で、ケレースとプロセルピナの神話のように『祭暦』と『変身物語』の両方で同じ神話が扱われている場合、両者を比べてどのような様式の違いがあるか、明らかにした。ハインツェによると「エレギーア詩においては感傷的で柔和な雰囲気が横溢しており、六歩格の語り口を特徴付けるものは厳粛さと畏怖の念である」という。アメリカの古典学者ブルックス・オウティス(英語版)(1901 - 1977)はハインツェの議論をおおむね受け継いで以下のように述べている。 神々は叙事詩においては「まじめ」でありエレギーア詩においてはそうでない。エレギーア詩の短く区切った、饒舌な語り口と比較すると、叙事詩の台詞回しは長く、頻度が少ない。オウィディウスは、エレギーア詩を詠うときは地の文から読者や登場人物への親しみの感情があふれ出てくるような詩を詠むのに、叙事詩のときは素の自分を隠す。とまれ、叙事的語りは延々と続き均整の取れた語りであるかもしれない。対してエレギーア詩の語りには均整を欠いた文体が見られる。 オウティスはまた、オウィディウスの恋愛詩において詩人は「新しいテーマを開拓するよりむしろ古いテーマを戯画化している」ことを指摘している。オウティスによると『名婦の書簡』はもっとまじめであり、そのうちのいくつかのエピソードは「オウィディスの他の作品と大きく異なり(中略)非常に慎重な歩みを重ねている」。それは男に捨てられた女という主題が、ヘレニズム詩や新ヘレニズム詩(英語版)において積み重ねられてきた主題であったという事実に関係している、という。 オウティスによると、『名婦の書簡』のパイドラー、メーデーア、ディードー、ヘルミオネーのエピソードは、エウリーピデース作品とウェルギリウス作品の「巧みな修正版である」という。くだんのウェルギリウス作品と『名婦の書簡』とを比較研究した研究者によると、ウェルギリウス作品が曖昧で矛盾しているのに対し、オウィディウス作品は明確さに富むという。また、ウェルギリウス作品が詩を詠むこと自体が目的になっているのに対し、オウィディウス作品において詩人は最小限の言葉で表現をしているという。
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