文学ジャンル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:49 UTC 版)
ピョートルの治世下では、検閲がゆるめられた。これは本質的な変化であった。かつては極めて厳しく抑圧されていた「恋愛もの」が事実上「許可」されたのである。これらの歌は様式的な体系やイメージといった口承の伝統と、ヨーロッパ抒情詩の新しい詩法とを取り入れていた。 物語文学もまた許可された。冒険物語が出現したが、これは騎士道物語の模倣でしかなかった。物語は大概の場合、外国の小説のロシアの文脈への翻案であった。大衆的な「おはなし」の特徴も見出される。 こうした作品における主人公は、積極的・勇敢・大胆であり、西洋に惹き付けられているロシアの貴人であることが一般的であった――選良にとっての、新しい人間の理想像である。『ロシアの水兵ヴァシリ・カリオツキーとフィレンツェの美しい王女イラクリアの物語』がその一例である。冒険は外国で行われ、無数の奇跡が起きる(フィレンツェの王となり、王女と結婚するなど)。水兵が主人公として選ばれていることには一定の現代性が認められる(ロシアが海軍を持つようになったのはごく最近のことであった)。 とはいえ、18世紀は全体を通じて詩が支配的であった。アンティオコス・カンテミール(ロシア語版)、ヴァシリー・トレジャコフスキー(ロシア語版))、ミハイル・ロモノーソフらが18世紀初頭のロシア文学の第一波を形成した。詩ではガヴリーラ・デルジャーヴィン、散文ではニコライ・カラムジンやアレクサンドル・ラジーシチェフ、演劇ではアレクサンドル・スマロコフ(ロシア語版)やデニス・フォンヴィージンらがまだロシアには存在していなかった文学ジャンルをそれぞれ開拓した。
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