文学カフェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/01 17:07 UTC 版)
文学カフェ(ブンガクカフェ、英語: Literary Cafe)は、次のような意味がある。
- 文学を主題とするカフェまたはレストラン
- 文学カフェ (サンクトペテルブルク)
- 文学カフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」 (日本近代文学館)
- 文学に関する有料または無料講演会[1]
- 文学に関するインターネットサイト[2]
脚注
- ^ 人文研アカデミ―文学カフェ(京都大学人文科学研究所)
- ^ The Literary Cafe (U.S.A.)
参照項目
文学カフェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 01:53 UTC 版)
ドゥ・マゴは老舗の「文学カフェ」と呼ばれるが、きっかけとなったのは1933年に、ドゥ・マゴの常連によってドゥ・マゴ賞が創設されたことである。最初に提案したのはエコール・デ・ボザールの司書マルティーヌであった。権威主義的なゴンクール賞に対抗して、より斬新で独創的な作品を積極的に評価する必要があると考えたからである。元シュルレアリストの詩人・劇作家ロジェ・ヴィトラック(フランス語版)がこれに賛同し、審査員を募った。ヴィトラックと同様に、ブルトンによってシュルレアリスム運動から除名されたロベール・デスノス、ミシェル・レリス、ジャック・バロン(フランス語版)、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ(フランス語版)が参加。さらに作家アンリ・フィリポン、イサック・クリュンベール (Isaac Grünbert)、アルマン・メグレ(フランス語版)、アンドレ・ド・リショー(フランス語版)、および画家のガストン=ルイ・ルー(フランス語版) 、アンドレ・ドラン、アルフレッド・ジャニオ(フランス語版)が加わった。審査員13人はいずれもレーモン・クノーの友人で彼の斬新な作品『はまむぎ(フランス語版)』を選出し、それぞれ100フランずつ持ち寄って計1,300フランの賞金を進呈した。以後も、ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』をはじめとし、文学伝統にとらわれない独創的な作品が選出されている。 なお、これはこれ以後についても同様だが、ドゥ・マゴの常連は隣のカフェ・ド・フロールの常連でもあり、ドゥ・マゴ賞審査員の文学者らはカフェ・ド・フロールにも頻繁に出入りしていた。ジャン=ポール・サルトルは、『存在と無』(1943年出版)の大半をカフェ・ド・フロールで執筆したが、ドゥ・マゴは、サルトルとボーヴォワールを中心とする実存主義哲学者らの拠点の一つであり、サルトルもボーヴォワールもそれぞれにいつも決まったテーブルを使っていた。ボーヴォワールが使っていた場所では、現在、毎週木曜の午後7時30分からジャズ・コンサートが行われている。
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