新しい詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:29 UTC 版)
「エウジェーニオ・モンターレ」の記事における「新しい詩」の解説
1927年、モンターレは編集者として、当時イタリアの詩の中心地だったフィレンツェへ転居した。ここではウンベルト・サバやヴィンチェンツォ・カルダレッリが高い評価を受けていた。1929年にモンターレはガビネットの図書館の館長への就任を要請されたが、1938年にファシズムにより追放された。この間彼はSolariaという雑誌に連載し、Giubbe Rosseという文芸カフェでエリオ・ヴィットリーニやカルロ・エミリオ・ガッダと知り合いになった。彼はまた新しい詩を模索する雑誌に対してはほとんど全てに寄稿した。 1939年、最も有名なアンソロジーOccasioniを出版した。1933年から1938年の間にユダヤ系アメリカ人でダンテ・アリギエーリを研究するイルマ・ブランディーズと知り合った。二人は恋に落ち、モンターレは執筆ができないほどだった。Le occasioniにはCliziaと呼ばれるブランディーズを仄めかした人物の登場する作品が多数収められている。フランコ・フォルティーニは、モンターレのOssi di SeppiaとOccasioniこそは20世紀イタリア詩の最高峰だと述べている。 またモンターレの詩に大きな影響を与えたのはT・S・エリオットの戯曲である。実際に、当時リバプールの教授の形で在英中だったマリオ・プラーツからエリオットのアイデアを紹介された直後に、それらはモンターレの作品に表れている。モンターレが詩の中で用いた客観的相関という考え方は確かにエリオットから影響を受けたものである。
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