クリスマスの追憶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 08:25 UTC 版)
「かなりや」の詞の背景には、子供の頃に麹町のある教会に連れて行かれたクリスマスの体験がある。会堂の中で、自分の真上にある電灯が1つだけ消えていたのを見た八十は、「ただ一羽だけ囀ることを忘れた小鳥」である「唄を忘れたかなりや」のような印象を受けたという。 翻訳の仕事にも協力していたことで、上野の不忍池付近のアパートを借りて仕事に没頭出来るようになった八十は、生まれて数ヶ月の娘を抱いて上野公園近辺を歩いている際に、その記憶を思い起こして作品にしたが、詩を執筆するうちにその姿は八十自身であるように思えたと述べている。 しかし、約1年後の1919年(大正8年)9月号で童謡『たそがれ』を掲載した際に、『たそがれ』は1年前に滞在していた房州の海岸で創作し、『かなりや』と同じ時期に寄稿したと編集部からの断り書きがあることや、『たそがれ』と『かなりや』を書いたのは同じ日であると、八十も詩論『新しい詩の味ひ方』で書いていること、娘の誕生日と『赤い鳥』11月号の原稿締切日を考えると、上野近辺で着想を得たという説には異論を唱える人々もいる。
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