但馬國とは? わかりやすく解説

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たじま‐の‐くに〔たぢま‐〕【但馬国】

読み方:たじまのくに

但馬


但馬国

読み方:タジマノクニ(tajimanokuni)

旧国名現在の兵庫県北部


但馬国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 08:49 UTC 版)

但馬国

-但馬国
-山陰道
別称 但州(たんしゅう)
所属 山陰道
相当領域 兵庫県北部
諸元
国力 上国
距離 近国
8郡59郷
国内主要施設
但馬国府 1. 未詳
2. 兵庫県豊岡市
但馬国分寺 兵庫県豊岡市(但馬国分寺跡
但馬国分尼寺 兵庫県豊岡市
一宮 出石神社(兵庫県豊岡市)
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但馬国(たじまのくに、古文書では「儋馬國」と表記)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。

「但馬」の名称

古事記』には「多遅摩国」と記載される。但馬の歴史的仮名遣いは「たぢま」。

領域

明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。

  • 兵庫県
    • 豊岡市
    • 養父市
    • 朝来市(生野町真弓・生野町川尻・生野町栃原および生野町口銀谷の一部は播磨国) - 生野は古来より播磨国と但馬国を結ぶ交通の要衝であった。現在の生野は但馬地域に含まれるが、古代の生野は播磨国の神崎郡または神西郡に属し、両国の国境は現在の生野市街地の北、市川水系と円山川水系の分水界に沿っていた。
    • 美方郡

当該地域の2010年国勢調査による人口は17万9530人(男8万5568人/女9万3962人)、世帯数は6万1880世帯、面積は2099.01km2、人口密度は85.5人/km2[1]

沿革

のちに但馬国となる地域には以下の2つの国造が置かれていた。

  • 但遅麻国造(たじまのくにのみやつこ、たじまこくぞう) ⋯⋯ のちの但馬国東部にあたる地域(のちの朝来郡養父郡周辺にあたる[2])を支配した。氏族は但馬氏。『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば第13代成務天皇の代に竹野君同祖の彦坐王(第9代開化天皇皇子)の五世孫である船穂足尼を国造に定めたという。
  • 二方国造(ふたかたのくにのみやつこ、ふたかたこくぞう) ⋯⋯ のちの但馬国西部にあたる地域を支配した。但馬国には二方郡の名が残り、明治29年(1896年七美郡と二方郡の地域をもって発足した美方郡の現在の郡域(香美町新温泉町)の周辺が二方国造の支配地域である[3]。『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば但遅麻国造と同じ成務天皇朝に出雲国造同祖の遷狛一奴命の孫である美尼布命を国造に定めたという。

こののち、のちの丹波国丹後国・但馬国の3国にあたる地域は丹波国造の支配地域である丹波国となった。但馬国は7世紀後半に丹波国より8郡を分割して成立したとする説もあるが確証はない。『日本書紀天武天皇4年(675年)条に国名がみえるので、この頃成立したと推定されている。

近世以降の沿革

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

祢布ヶ森遺跡
兵庫県豊岡市

和名抄』および『拾芥抄』によると、国府は気多郡にあった。

初期の国府の所在地には、豊岡市出石町の袴狭(はかざ)遺跡とする説、気多郡(現在の豊岡市日高町)内とする説があるが、明らかでない。『日本後紀』によると、延暦23年(804年)に気多郡高田郷に国府が移されたという[注釈 2]。豊岡市役所日高振興局(旧日高町役場)の付近で発掘された祢布ヶ森遺跡(豊岡市日高町祢布)がこれに比定される(北緯35度28分11.02秒 東経134度46分14.78秒 / 北緯35.4697278度 東経134.7707722度 / 35.4697278; 134.7707722 (但馬国府(後期):祢布ヶ森遺跡))。

国分寺・国分尼寺

但馬国分寺跡 石碑
(兵庫県豊岡市)
但馬国分尼寺跡 石碑
(兵庫県豊岡市)

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社18座10社・小社113座106社の計131座116社が記載されている(「但馬国の式内社一覧」参照)。大社10社は以下に示すもので、全て名神大社である。
出石神社(兵庫県豊岡市)

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]

地域

  • 朝来郡 - 朝来市
  • 養父郡 - 養父市、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町朝倉地区)
  • 出石郡 - 豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区)
  • 気多郡 - 豊岡市(日高地域、竹野町南地区)
  • 城埼郡 - 豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区)
  • 美含郡 - 美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区)
  • 七美郡 - 美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父市(熊次地区)
  • 二方郡 - 美方郡新温泉町

※郡名は『延喜式』による。

江戸時代の藩

  • 出石藩:小出家(6万石→5万石→4万5千石→4万4千石)→松平(藤井)家(4万8千石)→仙石家(5万8千石→3万石)
  • 豊岡藩:杉原家(2万石→2万5千石→1万石)→天領→京極家(3万5千石→1万5千石)
  • 八木藩:別所家(1万5千石→北由良藩2万石)
  • 清富藩:宮城家(1万3千石)
  • 竹田藩:赤松家(1万5千石→所領沒收)

明治時代の藩

人物

国司

但馬守

但馬介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国人

戦国大名

織豊大名

  • 宮部継潤 豊臣秀吉の側近。豊臣政権の五奉行の一人。城崎豊岡と改め、城を改築した。このとき城下町も整備され、これが現在の豊岡の町の基礎となった。後の鳥取城城主
  • 山名氏政 - 豊臣政権の大名。居城は有子山城。播磨に転封。
  • 前野長康(5万3千石→11万石)
  • 明石則実(2万2千石):四国征伐の功により豊岡城に入封。文禄4年(1595年)、豊臣秀次に連座して切腹・改易。
  • 小出吉政(6万石):文禄4年(1595年)から有子山城城主。西軍についたものの、弟・小出秀政が東軍に付いたために安堵され、後に但馬出石藩初代藩主。

武家官位の但馬守

江戸時代以前

江戸時代

但馬国の合戦

現代的用法

但馬は、現代でも兵庫県北部を指す地域名として用いられ、但馬地域とは、具体的には豊岡市養父市朝来市香美町新温泉町の3市2町で構成される地域を表す意味で用いられるのが一般的である[5][6]

また、そのうち北部を北但(ほくたん)、南部を南但(なんたん)として二分することがある。(北但を、北但東部〈豊岡市〉、北但西部〈香美町・新温泉町〉と二分して、但馬全体を三分することもある。)北但を兵庫県北部として、南但を播磨北西部・北播磨・丹波地域と合わせて「中部」に分類する考え方もある。

気象予報区域

脚注

注釈

  1. ^ 旧高旧領取調帳」は但馬国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書11 旧高旧領取調帳 近畿編」(近藤出版社、1975年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. ^ 『日本後紀』では「但馬の国治(国府)を気多郡高田郷に遷す」とあり、それまでは別の場所にあったと推測されている。

出典

  1. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 223。
  3. ^ 二方国造 ( 但馬 ) - 日本辞典(2017年9月25日 午前8時55分(JST)閲覧)
  4. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 406-409。
  5. ^ 但馬(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)”. 兵庫県. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月14日閲覧。
  6. ^ 但馬と市町について”. たじまUIターン情報サイト. たじま田舎暮らし情報センター. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月14日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


但馬国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:28 UTC 版)

旗本札」の記事における「但馬国」の解説

但馬国は京都・大坂の両町奉行所管轄から外れ上方から遠いためか、隣国丹後国などと同様、大藩はないものの、近畿地方としては比較明確に出石藩豊岡藩領、幕府領などがまとまった形で分かれていた。但馬国に所領有する旗本家は数家あり、旗本札発行したのは旧守護大名家や大名一族である。 七味郡村岡(現・兵庫県美方郡加美町村岡区村岡)の山名氏は、室町幕府三管領四職一家であった有力大名であるが、因幡国守護であった山名豊国がのちに羽柴秀吉降り御伽衆となった関ヶ原の戦いによって徳川家康取り立てられ七味全域与えられ交代寄合御礼衆の旗本となった明治維新の際には高直しにより村岡藩立藩したが、旗本であった時期旗本札発行した。なお立藩後には、面の様式改め藩札発行している。 養父郡糸井(現・兵庫県朝来市和田山町寺内)の京極氏豊岡藩京極氏分家で、山名氏同様に四職一家後裔である。糸井京極氏は、糸井引替会所発行や、大坂和泉屋重助などが引請人となったなどを発行した出石藩小出氏は、のちに無嗣改易となるまでに、但馬国内に旗本として4家の分家興した気多郡水上山本(現・兵庫県豊岡市日高町水上及び日高町山本)の水上山本小出氏出石郡倉見(現・兵庫県豊岡市倉見)の倉見小出氏養父郡大藪(現・兵庫県養父市大藪)の大藪小出氏養父郡土田(現・兵庫県朝来市和田山町土田)の土田小出氏である。このうち少なくとも水上山本小出氏倉見小出氏大藪小出氏旗本札発行したことが確認されている。 この他杉原呼ばれる多様な紙幣現存している。杉原氏豊岡藩であったが、幕初に無嗣改易となった。しかし、同族旗本存在し1200石を知行して荒川村陣屋構えた荒川杉原氏は更に二家旗本家を分家した後に改易となった杉原は、明治維新まで存続し杉原二家知行地である奥八代村爪村発行されたものも含まれており、領民無断領主苗字冠した紙幣発行するとは封建秩序の中ではありえないことから、旗本杉原氏二家発行主体になったものと考えられる

※この「但馬国」の解説は、「旗本札」の解説の一部です。
「但馬国」を含む「旗本札」の記事については、「旗本札」の概要を参照ください。

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但馬国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:56 UTC 版)

固有名詞

たじまのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。現在兵庫県北部にあたる。

関連語



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