柳生俊平とは? わかりやすく解説

柳生俊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 07:55 UTC 版)

柳生 俊平(やぎゅう としひら、元禄12年(1699年) - 明和5年3月18日1768年5月4日))は、大和国柳生藩の第6代藩主。

芳徳寺境内にある柳生一族の墓所。中央右が俊平の墓

伊勢国桑名藩主・松平定重の十一男。正室は稲葉恒通の娘。官位は従五位下、但馬守、飛騨守。

幼名は六弥。通称は靭負。先代藩主・柳生俊方の2人目の養嗣子・矩美が早世したため、享保6年(1721年)11月13日に養嗣子として迎えられた。同年11月28日、将軍徳川吉宗御目見する。享保15年(1730年)5月29日、俊方の死去により跡を継ぐ。同年12月18日、従五位下・但馬守に叙任する。後に飛騨守に改める。寛保2年(1742年)11月16日、養嗣子の俊峯に家督を譲って隠居し、明和5年(1768年)3月18日に70歳で死去した。法号は心源妙証得心院。墓所は東京都練馬区広尾の広徳寺と奈良県奈良市柳生町の芳徳寺

系譜

関連作品





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳生俊平」の関連用語

柳生俊平のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳生俊平のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳生俊平 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS