柳生俊睦とは? わかりやすく解説

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柳生俊睦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 10:01 UTC 版)

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柳生 俊睦(やぎゅう としちか、安永8年(1779年) - 天保9年6月4日1838年7月24日))は、大和国柳生藩の世嗣。8代藩主柳生俊則の三男。正室は松平忠済の娘。通称は内膳。生年は安永5年(1776年)とも。

兄・俊永の早世により柳生藩嫡子となる。寛政5年(1793年)に徳川家斉に拝謁するが、文化2年(1805年)に廃嫡された。代わって、大和国郡山藩から俊豊が養子に迎えられ嫡子となった。

芳徳寺境内にある柳生一族の墓所。中央が俊睦の墓

墓所は、奈良県奈良市柳生町の芳徳寺




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