但馬国府・国分寺館とは? わかりやすく解説

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但馬国府・国分寺館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 22:55 UTC 版)

但馬国府・国分寺館
施設情報
正式名称 豊岡市立歴史博物館 但馬国府・国分寺館
専門分野 考古学古代但馬歴史
事業主体 豊岡市
延床面積 1451.9平方メートル
開館 2005年
所在地 669-5305
兵庫県豊岡市日高町祢布808
位置 北緯35度28分11秒 東経134度46分2.9秒 / 北緯35.46972度 東経134.767472度 / 35.46972; 134.767472
プロジェクト:GLAM
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豊岡市立歴史博物館 但馬国府・国分寺館(とよおかしりつれきしはくぶつかん たじまこくふ・こくぶんじかん)は、兵庫県豊岡市日高町にある歴史博物館である。

概要

館内(企画展示室)

但馬国府・国分寺館は、古代但馬の中心地であったとされる国の史跡但馬国分寺跡」(奈良時代)及び「但馬国府跡」(祢布ヶ森遺跡・平安時代)を主題とする歴史博物館である。 2005年(平成17年)3月に両遺跡に隣接する形で開館した[1]。 両遺跡から出土した数多くの出土品[注釈 1]や模型を展示し、但馬の歴史を紹介している。2015年(平成27年)4月、遺跡のみならず豊岡市の幅広い歴史を活かす施設をめざし、豊岡市立歴史博物館ー但馬国府・国分寺館ーへと名称変更した[2]

館内は主に常設展示室、企画展示室、総合学習室に分けられ、企画展示室では出土した木簡[注釈 2]などを展示した企画展を年数回開催している。

総合学習室では5000冊を超える専門書籍をはじめ、古代衣装試着体験や土器作り、また本物の土器石器に触れることができるなど但馬歴史を体感しながら学習する事が出来る。 なお、建物の設計は植村直己冒険館を担った栗生明によるものである。

兵庫県博物館協会加盟館[3]。全国歴史民俗系博物館協議会加盟館[4]博物館法に基づく兵庫県教育委員会登録博物館である[5]。またひょうごっ子ココロンカード[6]の対象施設になっている。指定管理者制度を採用せず、豊岡市の直営である。

建築概要

  • 設計 - 栗生明
  • 敷地面積 - 9,058.6平方メートル
  • 建築面積 - 1,464.4平方メートル
  • 延床面積 - 1,451.9平方メートル
  • 構造 - 鉄骨造(一部木造)
  • 供用開始 - 平成17(2005)年3月26日

交通アクセス

周辺

脚注

注釈

  1. ^ 瓦・土器のほかに井戸跡も発見されている。使用している木材は年輪年代測定法で763年(天平宝字7年)と推定されている。
  2. ^ 36点出土し、「天平神護三年」(767年)、「神護景雲二年」(768年)などの年紀を記している。

出典

  1. ^ 実体験から歴史ロマンを感じる”. 豊岡市観光公式サイト. 2024年8月11日閲覧。
  2. ^ 博物館概要公式HP
  3. ^ エリア別施設一覧-但馬兵庫県博物館協会
  4. ^ 加盟館一覧-近畿全国歴史民俗系博物館協議会
  5. ^ 登録博物館一覧文化庁
  6. ^ ひょうごっ子ココロンカード兵庫県教育委員会

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