伊勢参りとは? わかりやすく解説

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いせ‐まいり〔‐まゐり〕【×勢参り】

読み方:いせまいり

伊勢神宮参拝すること。また、その人伊勢参宮。《 春》「春めく人さまざまの—/荷兮


伊勢参り

読み方:イセマイリ(isemairi)

伊勢神宮への参詣

別名 伊勢参宮


お蔭参り

( 伊勢参り から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 18:49 UTC 版)

お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣で(おかげもうで)とも。数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。


注釈

  1. ^ ただし、江戸幕府が信仰を厳しく禁じていたキリスト教の信者(キリシタン)に対しては通行手形の発行が許可されることはなかった。現存する通行手形には、申請者がキリシタンでないことを証明する旨が明記されているものが多い。

出典

  1. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)62-63頁
  2. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),28頁
  3. ^ a b 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),43-45頁
  4. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),78-79頁
  5. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),97頁
  6. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),79頁
  7. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),80頁
  8. ^ 河合正治『中世前期の伊勢信仰』雄山閣(1985),88-89頁
  9. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),90-91頁
  10. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),82-83頁
  11. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),108頁
  12. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),119頁
  13. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),114頁
  14. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),131頁
  15. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),136頁
  16. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)32-33頁
  17. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983),168頁
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  19. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)79頁
  20. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),153頁
  21. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983),174-178頁
  22. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),155頁
  23. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),156頁
  24. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)44-47頁
  25. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),152-153頁
  26. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),36頁
  27. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),144頁
  28. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),151-154頁
  29. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),39頁
  30. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),147頁
  31. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),36-37頁
  32. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),129頁
  33. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),92-93頁
  34. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),98頁
  35. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),100頁
  36. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),128頁
  37. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),128-129頁
  38. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),113頁
  39. ^ 河合正治「伊勢神宮と武家社会」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1985),87-89頁
  40. ^ 河合正治「伊勢神宮と武家社会」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1985),89-90頁
  41. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),114-115頁
  42. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),103頁
  43. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),109頁
  44. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),126頁
  45. ^ 神宮の歴史・文化”. 伊勢神宮. 2020年11月12日閲覧。
  46. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),35頁
  47. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),130頁
  48. ^ a b c 『検定お伊勢さん 公式テキストブック』伊勢商工会議所・伊勢文化舎編集・発行(2006),101頁
  49. ^ 『検定お伊勢さん 公式テキストブック』伊勢商工会議所・伊勢文化舎編集・発行(2006),119頁
  50. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),208-209頁
  51. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),112頁
  52. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),61頁
  53. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),81頁
  54. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),65-66頁
  55. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),64頁
  56. ^ a b c d e f g h i j k 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),82-99頁
  57. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),99-100頁
  58. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),100頁
  59. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),107-108頁
  60. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),111頁
  61. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),104頁
  62. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),107頁
  63. ^ 首から巾着、飼い犬を伊勢参りの「おかげ犬」に…想定超えた人気ぶり”. 読売新聞オンライン (2022年5月6日). 2023年11月3日閲覧。


「お蔭参り」の続きの解説一覧

伊勢参り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:40 UTC 版)

お蔭参り」の記事における「伊勢参り」の解説

伊勢神宮は、古代には神郡神田神戸からの神税など国家的な経済基盤により支えられており、国家祭祀斎場として「私幣禁断」の制度敷かれ個人的な参拝できないこととされていた。しかし、平安時代に入ると律令制弛緩荘園制度成立に伴い神税など国家的な経済基盤揺らぎ神宮荘園に対して課税行い領地寄進御厨)も受けるようになったこの際に、神宮権禰宜らは御師として荘園在地領主に対して神宮への祈祷行ったり、神宮神威説くなどして伊勢神宮信仰広げたため、伊勢信仰はまず上級武士層に広がった鎌倉時代中期以降には、元寇における神風の伝承広がったこともあり、次第御家人地頭武士層へも広がり、その農村への影響力から農村中下層にも徐々に伊勢信仰浸透し鎌倉時代後期には起請文天照大御神の名が出てくるなど、伊勢信仰民衆にも広がった。ただ、鎌倉時代末の時点では、参宮自体伊勢尾張三河美濃などに集中し未だ全国的な広がり見せなかった。 中世後期に入ると、戦乱などの影響もあり、神宮社領含め荘園制崩壊向かい神宮財政的危機陥ったことから、御師活動はさらに本格化した。神宮は、御厨からの収益収納することが困難となり、参宮者の祈祷料宿泊料重視されるようになったため、御師土地関係を離れて広く人々との師檀関係の形成広げてゆくようになり、その活動内容も、従来社領経営などの業務から、参宮に際して宿泊観光案内提供するなどの直接的な業務中心となった。これらのことから室町時代には参宮量も増加し、特に経済的に発達していた畿内地区では中小農民層の参宮見られ備中周防土佐などの中間地帯からも富裕農民層の参拝見られるようになった御師布教に際して個人祈願満たす現世利益霊験よりも、伊勢神宮国家神的性格強調して喧伝し、室町時代辞書壒嚢鈔』には「和国は生を受くる人、大神宮参詣すべき事勿論…」と記され国家鎮守神である大神宮には国民は必ず詣るべきとする観念広がった江戸時代以降中世関所撤廃され五街道初めとする交通網整備され乗り物輸送組織発達したほか、治安改善もあって参宮環境改善し、さらに広範囲かつ広い階層参宮が行われるようになったまた、道中での遊興施設宿屋充実などもあり、伊勢参りは観光目的も含むようになった。元禄以降は、米の品種改良農業技術進歩に伴い農作物(特に、江戸時代の税のであった米)の収穫量増えて農民でも現金収入を得ることが容易になり、農村にも貨幣経済浸透したことや、分家自営農民としての独立進んで戸数増加したことによる身分的な解放もあり、全国的かつ広い階層民衆参拝するようになった参宮者の数は、江戸初頭年間2、3万人があったと推定され足代弘訓の『御師考証によれば江戸中期には年間20から40万人参宮があった。このような伊勢参りの拡大の中で、現代旅行ガイドブック旅行記相当する参宮道中記発売された。これらの道中記には、『新撰伊勢道中細見記』のように、参宮家内安全所願成就を祈るための個人祈願のためのものとする記述もある一方で、『伊勢参宮細見大全』のように、「伊勢神宮国家を守る神であり、日本に住む人々ことごとくその恩恵を蒙っているのだからその感謝のために参拝しなければならない」として国家鎮守神側面強調する記述見られた。また、伊勢太神宮神異記』などの庶民向けの書物では、障害者貧困者、女性子供などの社会的に弱い立場人々が、神の利生受けて願いを叶える話が多く集められており、そのような現世利益的な神の霊験を信じて参宮する者も多かったまた、江戸時代中頃になると、農業技術進歩により、農家中に現金収入得られる者が増え新たな知識見聞物品求めて旅をしようと思い立つ者も現れるようになったが、農民移動規制があった江戸時代旅をするにはそれなりの理由が必要で、その口実として伊勢神宮参詣という名目使われるようにもなった。当時、他藩の領地を通るために必要不可欠通行手形発行には厳し制限があったが、伊勢神宮参詣目的とする旅についてはほぼ無条件通行手形発行してもらえたためである(この他にも、善光寺参詣日光東照宮参詣など、寺社参詣目的旅についておおむね通行手形発行認められていた。通行手形発行は、在住地の町役人村役人など集落代表者または菩提寺申請した)。 このように近世期には伊勢参りが活性化したが、一方で女性子供被官名子など地主隷属した農民や、丁稚小僧下男下女らの商家奉公人層は厳し移動制限があった。しかし当時、たとえ親や主人家長無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣に関しては、参詣をしてきた証拠品物お守りお札など)を持ち帰れば、おとがめ受けないことになっていたため、彼らも「抜け参り」によって伊勢神宮参詣することが可能であったこのような抜け参り対す例外的な寛容性は、中世以来の、国民は必ず伊勢神宮参詣するべきという参宮国民的義務観が近世入りさらに徹底されたことや、伊勢参りを止めた主人対す神罰強調されるなどしたことによるもので、子供奉公人伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてならないとされていたのであるまた、大名も自領領民の伊勢参りには比較寛容であり、しばしば参宮者の人数制限を行うことはあったが、領主富豪層伊勢参宮に対して道中食事や宿の提供を行うことも多く見られた。このためわずかな負担伊勢神宮への参詣達成され得たことも、下層階級者の参宮可能なものとする要素であったこのような抜け参り群発し、全国的な規模となって爆発的な参宮となったものが、周期的に訪れたお蔭参りであったまた、庶民移動には厳し制限があったといっても、伊勢神宮参詣名目通行手形さえ発行してもらえば実質的にどの道通ってどこへ旅をしてもあまり問題はなく、参詣すませた後には京や大坂などの見物を楽しむ者も多かった流行時にはおおむね本州四国九州の全域広がったが、北陸など真宗信徒が多い地域には広まりにくかった傾向がある。死人生き返ったなど、他の巡礼にも付き物説話数多くあるが、巡礼拒んだ真宗教徒神罰を受ける話がまま見られる。一番多いのは、おふだふりである。村の家々に神宮大麻お札)が天から降ってきたと言う。これは伊勢信仰民衆布教した御師がばら撒いたものだともいわれる伊勢神宮参詣多く庶民一生に一度行きたいと願う大きな夢であったこのような庶民階級も含む大規模な参詣は、当時あらゆる参詣通じ普遍的現象ではなく、ほとんど伊勢参宮特有の現象であった。これは、伊勢参りが敬虔な信仰心のみならず多分に観光要素も含むものであったために、伊勢参宮への熾烈な国民感情普遍的に存在したということ伊勢参宮国民的義務観や参宮制止への神罰観が普及徹底し家長領主などの支配階級下層民の伊勢参宮に対して寛容ならざるを得なかったこと、こういった要素が伊勢参りを全国的かつ汎階層的なものとした。

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