お蔭参り 伊勢の御師

お蔭参り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 18:49 UTC 版)

伊勢の御師

参宮者が御師の手代と落ち合う様子。「伊勢参宮名所図会」より。

神宮御厨における在地領主の伸長に伴って、御厨からの年貢の滞納が頻発するようになったため、望みを祈祷して対価を得はじめたのが、伊勢神宮の御師と檀那の関係の始まりである[38]。荘園制が崩壊して御厨からの収益が断たれ、神宮経済の基盤が御厨からの収益から参宮者のご祈祷料や宿泊料へと基軸が移る中世後期には、御師の活動は本格化し、御厨などの土地関係から離れ、広く全国の人々と師檀関係を結んでいくようになった[39]。その担い手も、当初は「神人(じにん)」と呼ばれる荒木田度会姓を持つ中下級神主層であったが、中世後期には、代官として在地の人々との接触に慣れてきた「神役人(じやくにん)」と呼ばれる伊勢の町衆層に移り変わった[40]。御師は、各地の伊勢講をにぎり、伊勢講員との間に師檀関係を結んで檀家を広げていったが、室町時代には在地領主などの武士層から、より広い階級が伊勢御師の檀家となっており[41]、戦国時代には大名と師檀契約を結んでその領内の人々を自らの檀家とする御師も現れ、伊勢信仰が拡張していった[42]。安土桃山時代には、遠方の九州豊後において、姓を持たないような下層の農民にまで御師との師檀関係があることが確認できる[43]。そして、近世に入ると御師の活動はさらに広がり、御師の数は最盛期には内外宮の御師合わせて800軒を超える数となり[44]、檀家数は安永6年(1777年)の『外宮師職壇方家数改帳』によると、当時の総戸数の89%に当たる約420万戸もの数を数えるに至っており、ほぼ全戸に伊勢御師との師檀関係が及んだ[45]

御師の活動は、数名ずつのグループに分かれて各地に散らばって農村部で神宮大麻伊勢暦、その他伊勢の土産物などを配り、神宮の神威を説いて参宮を勧めたり、豊作祈願を行ったりするものであり[46]、その年に収穫されたを初穂料として受け取る事で生計を立てていた。伊勢神宮の神田には全国から稲穂の種が集まり、参宮した農民は品種改良された新種の種を持ち帰った。御師は、檀家の巡回に先駆けて、その村の村役人などに手紙を出してその旨を事前に連絡し、巡回する予定を告知し、伊勢講の「総代」「世話人」「帳元」と呼ばれる役職の者が、来村した御師や手代の応対に当たり、その他初穂や祈祷に関する御師との往来事務に当たった[46]

伊勢に旅立った者は、伊勢滞在時に大抵、自分達の集落を担当している御師のお世話になっていた[46]。参宮者は、伊勢に到着する予定の数日前に、事前に担当の御師に手紙を出して到着予定日を告知し[47]、松阪や小俣のあたりに着くと、御師は手代をやって参宮者を出迎え、宮川を渡ると駕籠で宿屋となる御師邸まで送迎した[48]。御師は伊勢参拝に来る人をもてなすため、自分の家で宿屋を経営している事が多かった。御師の宿屋では、盛装した御師によって豪華な食器に載った伊勢松坂の山海の珍味などの豪勢な料理や歌舞でもてなし、農民が住んでいる所では使ったことがないような布団に寝かせる、など参拝者を飽きさせないもてなしを行った[48]。また、神楽料を払うことができる場合には、湯立神楽を行い参拝者の祈願を行った[49]。そして、伊勢神宮や伊勢観光のガイドも勤め、参拝の作法を教えたり、伊勢の名所や歓楽街を案内して回った[48]。この時、豊受大御神が祀られている外宮を先に参拝し天照大御神が祀られている本殿の内宮へ向かうしきたりで、外宮先祭という。


注釈

  1. ^ ただし、江戸幕府が信仰を厳しく禁じていたキリスト教の信者(キリシタン)に対しては通行手形の発行が許可されることはなかった。現存する通行手形には、申請者がキリシタンでないことを証明する旨が明記されているものが多い。

出典

  1. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)62-63頁
  2. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),28頁
  3. ^ a b 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),43-45頁
  4. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),78-79頁
  5. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),97頁
  6. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),79頁
  7. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),80頁
  8. ^ 河合正治『中世前期の伊勢信仰』雄山閣(1985),88-89頁
  9. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),90-91頁
  10. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),82-83頁
  11. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),108頁
  12. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),119頁
  13. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),114頁
  14. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),131頁
  15. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),136頁
  16. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)32-33頁
  17. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983),168頁
  18. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)70頁
  19. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)79頁
  20. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),153頁
  21. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983),174-178頁
  22. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),155頁
  23. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),156頁
  24. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書(2013)44-47頁
  25. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),152-153頁
  26. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),36頁
  27. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),144頁
  28. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),151-154頁
  29. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),39頁
  30. ^ a b 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),147頁
  31. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),36-37頁
  32. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),129頁
  33. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),92-93頁
  34. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),98頁
  35. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),100頁
  36. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),128頁
  37. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),128-129頁
  38. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),113頁
  39. ^ 河合正治「伊勢神宮と武家社会」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1985),87-89頁
  40. ^ 河合正治「伊勢神宮と武家社会」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1985),89-90頁
  41. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),114-115頁
  42. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),103頁
  43. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),109頁
  44. ^ 新城常三『社寺と参詣』至文堂(1960),126頁
  45. ^ 神宮の歴史・文化”. 伊勢神宮. 2020年11月12日閲覧。
  46. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),35頁
  47. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),130頁
  48. ^ a b c 『検定お伊勢さん 公式テキストブック』伊勢商工会議所・伊勢文化舎編集・発行(2006),101頁
  49. ^ 『検定お伊勢さん 公式テキストブック』伊勢商工会議所・伊勢文化舎編集・発行(2006),119頁
  50. ^ 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983),208-209頁
  51. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),112頁
  52. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),61頁
  53. ^ a b c 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),81頁
  54. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),65-66頁
  55. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),64頁
  56. ^ a b c d e f g h i j k 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),82-99頁
  57. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),99-100頁
  58. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),100頁
  59. ^ a b 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),107-108頁
  60. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),111頁
  61. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),104頁
  62. ^ 鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』岩波新書(2013),107頁
  63. ^ 首から巾着、飼い犬を伊勢参りの「おかげ犬」に…想定超えた人気ぶり”. 読売新聞オンライン (2022年5月6日). 2023年11月3日閲覧。


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