ワイエス‐じゅういち【YS-11】
YS-11
日本の航空技術陣の手で生まれた戦後初の国産中型輸送機です
YS-11は、T-1ジェット練習機とともに、日本の航空技術陣の手で生まれた戦後初の国産中型輸送機です。第三次防衛計画末までにP型(人員輸送)4機、PC型(貨物・人員混載)1機、FC型(飛行点検機)1機、C型(貨物専用)7機の計13機を取得しました。なお、C型は物資の空中投下はできますが空挺投下はできません、また、航空自衛隊では、この13機で装備を打ち切っています。
分類 | 中型輸送機 |
乗員 | 5人 |
全幅 | 32.00m |
全長 | 26.30m |
全高 | 8.98m |
胴体幅 | 2.88m(最大) |
主翼面積 | 94.8㎡ |
自重 | 14,592kg |
エンジン | 2基 |
名称 | ダートMk542-10 |
出力 | 離昇馬力 3,60ehp/1基 15,000rpm |
型式 | ターボプロップ・エンジン |
性能 | |
離陸重量 | 23,500kg |
ペイロード | 5,400kg(最大) |
巡航速度 | 263kt(約490km) |
航続距離 | 1,260nm(約2,300km) |
YS-11
【YS-11】(わいえすいちいち)
日本航空機製造(NAMC) YS-11.
第二次世界大戦後、日本のメーカーが初めて設計・生産した双発ターボプロップ旅客機。
型式番号は「YS」が「輸送機(Yuso^ki) 設計(Sekkei)」の頭文字、最初の1が「胴体案の一番目」、次の1が「エンジン案の一番目」を示しており、「わいえすいちいち」と読む。
しかし、型式番号のYSの意味については諸説あるのでこの限りではない。
本機の設計は、三式戦闘機飛燕設計の土井武夫、零戦設計の堀越二郎、紫電改設計の菊原静男、一式戦闘機「隼」設計の太田稔、秋水を手がけた木村秀政といった、日本を代表する航空技術者の手によって行われた。
日本は第二次世界大戦の終戦まで、世界でも有数の航空機製造技術を持っていたが、敗戦後、米英を中心とする連合国軍(GHQ)の占領政策で航空機の設計・開発・製作・運用といった航空に関する諸活動への関与を一時期禁じられたため、航空機製造技術の基盤が失われてしまっており、開発は困難を極めた。
製造は新三菱重工、川崎航空機、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機工業、住友精密工業の7社が分担し、最終組み立てを三菱の小牧工場が担当した。
1962(昭和37)年に初飛行し、その2年後の1964(昭和39年)に国内線に就航。
当時国内で主流だった1200m級の滑走路での離着陸が可能で、エンジンが停止しても滑空できるほど、低速での安定性が優れていた上、燃費が良く、頻繁な離着陸にも耐えられる頑丈な構造だったため、地方間コミューター機として活躍した。
また、アメリカや東南アジアへも輸出した実績もある。
しかし、高性能の機体とは裏腹に、騒音や振動が激しく、旅客機としては好ましくなかった。
現在では機体の老朽化に伴う廃棄処分やそれに伴う新型機の導入などで機体数は減り、また衝突防止装置(TCAS)を装備することの義務付けにより、日本のエアラインにおける旅客機としての活躍の場はなくなった。
日本で最後まで運行し続けたエアーニッポンや日本エアコミューターでも、同様の理由からYS-11の後継としてボンバルディア社(カナダ)製のDHC-8(通称ダッシュ8)などのコミューター機を採用、2006年(平成18年)9月30日のラストフライトをもって、日本での商用機としての運行は終了した。
日本における旅客機としての活躍の場は失われても、海上自衛隊・航空自衛隊や東南アジア諸国(フィリピンのフィリピン航空やアジアンスピリット、タイのエアフェニックスやプーケットエアなど)での旅客機としてはいまだに現役である。
日本の航空技術開発という点では重要な意味を持っていた本機であるが、1973(昭和48)年に合計182機で生産は打ち切られ、300億円の赤字を出して全計画が終了した。
2007年には社団法人日本機械学会から「機械遺産」に認定された。
スペックデータ
乗員 | 2名 |
定員 | 56~64名 |
全長 | 26.3m |
全高 | 8.98m |
全幅 | 32.0m |
胴体直径 | 2.88m |
主翼面積 | 94.8㎡ |
自重 | 14,600kg(A-100型) 15,400kg(A-500型) |
最大離陸重量 | 23,500kg(A-100型) 24,500kg(A-200型) 25,000kg(A-500型) |
エンジン | ロールス・ロイス ダート ターボプロップ(推力2,660~3,060shp)×2基 |
最大巡航速度 | 470~480km/h |
失速速度 | 140km/h |
航続距離 | 1,090km(フル搭載時) 2,200 km(最大) |
派生型
- YS-11-100:初期生産型。
- YS-11A:輸出を見込んで大幅な改良を施したモデル。
- YS-11A-200:旅客型の標準モデル。
- YS-11A-300:旅客・貨物混載モデル。
- YS-11A-400:貨物専用モデル。
- YS-11A-500:YS-11A-200のエンジンを542-10Kに換装し、ペイロードを500kg増加したモデル。後にオートパイロットやTCADなどの追加装備を施したものも存在している。
- YS-11A-500R:YS-11A-200のエンジンにMk543を搭載し、高気温・高地運用時の片発上昇性能が向上したモデル。
- YS-11A-600:YS-11A-300のエンジンを542-10Kに換装し、ペイロードを500kg増加したモデル。
- YS-11A-CARGO:YS-11の最終モデルで貨物機改造タイプ。
生産中止モデル
- YS-11J:リージョナルジェットモデル。
ロールス・ロイス/スネクマ M45H ターボファンエンジンを主翼上に搭載し、後退尾翼に改造している。 - YS-11S:YS-11の短距離離着陸機タイプ。航続距離900km、600m級の滑走路で離着陸が可能とされた。
- YS-33:YS-11の後継機種(YX)として研究を開始したターボジェット機。機体構成はDC-10に似ている。
航空自衛隊モデル
- YS-11P:人員輸送機型。YS-11-100をベースに、主翼内インテグラルタンクとバグタンクによって燃料搭載量を7,270リットルとし、航続距離を延長している。
- YS-11PC:人員・貨物輸送機型。YS-11-300がベース。
- YS-11C:輸送機型。胴体後部左側に横3.05m・縦1.83mのカーゴドアが設置され、床が強化された。
- YS-11E:電子戦訓練機型。胴体上面に大小のレドーム、胴体下面に2個の大型レドーム、胴体後部両側に冷却装置が設置されている。
- YS-11EL:ELINT機型。C型ベース。後にEB型へと改造された。
- YS-11EA:E型を「スーパーYS」へ改修した型。上下7箇所あったレドームを廃し、胴体上部に小型レドームを3つ設置、下部中央に大型ブレードアンテナを2枚、下部後方に小型ブレードアンテナを2枚、冷却機材収容部は右側のみに、機内のECM機材も能力向上型に改められた。
- YS-11EB:C型の電子支援機型。EA型と同じく「スーパーYS」化されている。
- YS-11FC:飛行点検機型。VHF及びTACANアンテナが増設された他、航空通信設備や航空交通管制施設を検査する自動点検装置、信号観測用のオシロスコープなどの無線機材が搭載されている。
- YS-11NT:航法訓練機型。自衛隊の航法士を育成する機体で、航法/通信アンテナや六分儀が設置されている。
- スーパーYS:日本飛行機が川崎重工業と石川島播磨重工業の協力を受けて開発した機体。
エンジンをP-2Jで使用されていたT64-IHI-10Eを-10Jへと改修・換装し、プロペラをハミルトン・スタンダードの3枚ブレードに交換した。
この改修により、上昇限界高度が9,000mに向上し、航続距離も延長された。
海上自衛隊モデル
YS-11
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 14:38 UTC 版)
飛行するYS-11M 61-9041号機
(海上自衛隊所有、2007年9月28日撮影)
注釈
出典
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