2000-2009年
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家電量販店のマツヤデンキに2000年11月に身体障害者枠(障害者雇用)で入社し、愛知県豊川市の店舗で販売業務に就いていた慢性心不全を抱える男性(当時37歳)が、同年12月に致死性不整脈により死亡した。男性の妻が翌2001年11月に豊橋労働基準監督署に対し労働災害を申請したが認定されなかったため、2005年に名古屋地裁に提訴。一審は訴えを棄却したが、二審の名古屋高裁は2010年4月16日に「業務の過負荷による死亡かどうかは、男性本人の障害の程度を基準とすべき」などとする初判断を示して訴えを認め、労災と認定する判決を言い渡した。 2001年に日本国政府は、長期間の疲労蓄積で脳や心臓の疾患が起こることを認める。 2002年2月9日、トヨタ自動車社員の男性(当時30歳)が致死性不整脈により死亡した。男性の妻が「月144時間という過酷な残業と変則的な勤務時間のため」として訴訟を起こした。名古屋地方裁判所は遺族側の主張をほぼ認め(認定した残業時間は106時間)、判決 が確定した。 奈良県立三室病院に勤務していた臨床研修医(当時26歳)が、2004年1月に勤務中にA型インフルエンザを発症し、自宅療養をしていたが死亡した。死亡直前の2003年12月には、1日当たりの勤務時間が12〜24時間に及ぶ日が連続6日間もあり、また食事時間や休憩時間もほとんど取れない状態だった。地方公務員災害補償基金奈良県支部は2007年2月に、この男性の死を公務災害と認定し、両親に遺族補償一時金約417万円と、父親に約56万円の葬祭補償を支給したが、両親は「補償一時金に時間外手当が導入されていない」として奈良地方裁判所に訴えを起こした。2010年8月26日に同地裁は「時間外労働の存在は明確で、これを考慮しなかったことは違法」として、同支部の決定を取り消す判決を言い渡した。 2005年2月に、産業機械商社のマルカキカイ(現・マルカ)に執行役員として勤務していて過労死した男性について、東京地方裁判所は2011年5月に「実質的に労働者にあたる」として、労災の不認定を取り消す決定をした。 1997年に東急ハンズに入社した男性が、同社心斎橋店に勤務していた2004年3月に急死した。男性の妻と長男は、過重な労働が原因だったとして、同社を相手取り神戸地裁に訴訟を提起。同地裁は2013年3月13日の判決で遺族の主張を認め、同社の過重労働を認めた上で、従業員への安全配慮義務に違反したとして、遺族に7,800万円を支払うよう命じた。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2007年7月5日、日産自動車の直系子会社ジヤトコプラントテックの男性社員が、建屋内で首を吊っているのを同社社員が発見し通報、男性は死亡した。この日に男性は工長(現場リーダー職)昇進を控えた集合教育を受けていたが、途中で席を立っており、この直後に自殺した。この教育は対象社員を一箇所に集め、数日間から数週間にわたり集中的に行われることから「『日勤教育』的色合いが濃かった」(同社社員)といい、精神的に追い込まれる社員が少なくなかったという。男性の自殺について両社は黙秘しており社内外への公表を行っていない。2008年現在係争中。[要出典] 2008年12月、居酒屋チェーン大庄に入社した24歳の従業員が入社4か月後に長時間の残業により過労死したとして、従業員の両親が約1億円の損害賠償を求めて京都地方裁判所に訴えを提起した。原告の主張は、新入従業員を月額19万4,500円で募集していたが、その月額は80時間の残業を前提としており、それ以下の場合は減額され、最低月額は12万3,200円であった。2008年度のリクナビ求人サイトには、月額19万6,400円+残業手当と書かれていたという。京都地方裁判所は原告の請求を認容、同社と取締役4人に対し約7,860万円の支払いを命じた。判決理由は「長時間労働を前提としており、こうした勤務体制を維持したことは、役員にも重大な過失がある」「生命、健康を損なわないよう配慮すべき義務を怠った」と指摘している。過労死を巡る訴訟は会社側が責任を負うことが一般的で、取締役の賠償責任を認めた司法判断は珍しい。原告代理人の弁護士は「上場企業の役員個人の責任が認められたのは画期的」と述べた。判決により社長ら個人の賠償責任も認められ、遺族へ計約7860万円を支払うよう命じた。[要出典] 2009年3月5日、過労自殺で夫を亡くした京都市在住の女性が、大阪府の弁護士らの協力を得て、社員が過労死したと認定された在阪企業について、企業名などの情報公開を行うよう厚生労働省大阪労働局に請求した。この女性は企業名の公表が過労死などへの抑止力になると主張したが、情報公開請求が退けられたため、女性や市民団体らが大阪地方裁判所に提訴。一審は女性らの訴えを認めたが、二審の大阪高等裁判所は2012年11月29日に「情報を開示することにより、各企業の社会的評価などが低下し利益を害することが有り得る」として原告敗訴の逆転判決を言い渡した。原告側は「企業の擁護に終始した判決だ」として批判している。 2008年4月からウェザーニューズ(東京都港区)の予報センターに試用勤務した男性の気象予報士(当時25歳)は、同年5月以降、千葉市の「予報センター」で天気予報の業務を担当した。それは、主にマスコミ向け天気予報の原稿を作成する仕事だった。男性気象予報士は、早朝から夜中まで働いたが、それは、過労死の認定基準を超える134時間 - 232時間の時間外労働を強いられるものだった。その後、男性気象予報士は多忙でうつ病を発症した。2008年10月1日に職場の上司が男性気象予報士に「本採用は難しい」と告知し、翌日の10月2日、男性気象予報士は自宅で自殺した。これについて京都市在住の遺族が、翌2010年10月1日に同社を相手取り、約1億円の損害賠償を求める訴えを京都地方裁判所に起こした。その後、同年12月14日に同地裁で和解が成立した。 2008年5月、宮崎県新富町の女性職員(当時28歳)が自殺した。この女性職員は2008年になって同僚が休職したことに伴い、臨時職員の指導などの業務が加わり、同年2月下旬から2か月間の超過勤務時間が222時間に達していた。また町長も認識していながら適切な対応を取らなかったことが自殺の原因になったとして、女性の両親らが2011年12月に同町を相手取り、慰謝料などを求める訴えを起こした。市町村職員の過労自殺が損害賠償請求訴訟に発展した初の事例となった。 2004年4月からマツダで勤務してきた男性が、2007年3月にうつ病になり同年4月に自殺した。これについて広島中央労働基準監督署は2009年1月、自殺と仕事との因果関係を認め労災認定した。 一方、男性の両親は、長時間労働や上司からのパワーハラスメントなど、会社側が適切にサポートしなかったことが原因であるとして、同社に対し約1億1,100万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。2011年2月28日に神戸地裁姫路支部は、訴えをほぼ認め、同社に対し約6,400万円の支払いを命じた。 2007年4月、山梨赤十字病院に勤務していた男性職員が、同病院のリハビリ施設内で自殺した。この職員は1993年から同病院の調理師を務めた後、2005年にリハビリ施設に転属したが、2007年から別の施設の開設準備に他の職員が関わるようになったため業務量が急増してうつ病にかかり、自殺前1か月の時間外労働は166時間以上に及んだとされた。2012年10月2日に甲府地方裁判所は「(過重な)業務と自殺との間に因果関係が認められる」として、慰謝料など約7,000万円の支払いを同病院に命じた。 日本国政府が実施する外国人研修制度で2005年12月に来日し、金属加工会社フジ電化工業(茨城県潮来市)で勤務していた、男性の中国人技能実習生(当時31歳)が、2008年6月に過労で倒れ急性心不全により死亡した。鹿嶋労働基準監督署は、外国人実習生としては日本初の過労死認定を下し、遺族は労災の保険金給付の一部の約1,100万円を受け取った。遺族は受入機関にも注意義務違反があるとして、同社の他に受入機関の白帆協同組合(茨城県行方市)に対しても、約5,750万円の損害賠償を求める訴訟を水戸地裁に起こした。2011年現在係争中。 2008年4月に居酒屋チェーンワタミに入社した女性(当時26歳)が、同年6月に自殺。遺族は長時間労働によって生じたストレスが自殺の原因として横須賀労働基準監督署に労災申請したが却下された。このため遺族は神奈川労働者災害補償保険審査官に不服申し立てを行い、同審査官は労災認定した。 2009年7月、日本電気(東京)に勤務する男性社員(当時49歳)が自殺した。男性社員は日本電気(東京)に正社員として勤務し、長年、芸術文化支援活動を担当していたが、考え方の違いから上司とトラブルになり、2009年1月頃、うつ病を発症した。2009年4月には、男性社員は未経験のIT関連業務の担当となり、「達成困難なノルマ」を課されたことで、2009年5月頃、うつ病を再発し、7月に自殺した。当初、三田労働基準監督署はこれを労災と認めなかったが、男性社員の妻が遺族補償を支給しなかった三田労働基準監督署に対し処分取り消しを求め訴訟を起こした。そして、2020年10月21日、東京高裁は、請求を棄却した1審東京地裁判決を覆し、これを労災と認める判決を出した。
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