自殺の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:39 UTC 版)
自殺直後から藤村の自殺については様々に論じられ、そのほとんどは、藤村の自殺を国家にとっての損失という視点から扱ったものだった。自殺の原因としては、遺書「巌頭之感」にあるように哲学的な悩みによるものとする説、自殺前に藤村が失恋していたことによるものとする説に大別される。藤村の恋愛の相手として4人の女性の名が挙がった。菊池大麓の娘である松子とその姉の多美(民)、馬島あい子とその姉の千代であるが、死後80年以上経って、藤村が自殺の直前に手紙とともに渡した本という物的証拠が出てきたため、恋の相手は馬島千代ということで落着している。朝日新聞(1986年7月1日)によれば、5月22日の自殺直前、藤村は突然、馬島家を訪ね、千代に手紙と高山樗牛の『滝口入道』を手渡した。手紙には「傍線を惹いた箇所をよく読んで下さい」と書いてあり、本には藤村の書き込みがあった。千代に縁談があったので、藤村が千代を訪ねたことは秘密とされた。手紙と本も焼却されたと考えられていたが、千代が1982年に97歳で亡くなった後、子息の崎川範行(東京工業大学名誉教授)が遺品の中から『滝口入道』と手紙を見つけ、日本近代文学館に寄贈することになった。なお、「失恋説」については、友人の南木性海は藤村の11通の手紙を公表し、否定している。南木に限らず、藤村をよく知る友人らはみな一様にこの「失恋説」を否定している。
※この「自殺の原因」の解説は、「藤村操」の解説の一部です。
「自殺の原因」を含む「藤村操」の記事については、「藤村操」の概要を参照ください。
- 自殺の原因のページへのリンク