もんじゅ西村裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:32 UTC 版)
1995年12月8日に発生した、もんじゅのナトリウム漏洩火災事故において、事故現場の様子を撮影したビデオテープの一部を隠したことが発覚し、マスコミに追及された。ビデオ隠しが判明した時期は1995年12月25日だったにも関わらず、動燃が1996年1月12日に開いた隠蔽公表の記者会見では、会見直前の「1996年1月10日」と虚偽の発言を行った。 この会見の翌日の1996年1月13日、ビデオ隠しの特命内部調査員として、マスコミ報道の矢面に立たされていた動燃総務部次長の遺体が発見された。福井県警察が自殺と発表し、その後、マスコミの追及は尻すぼみとなっていった。 遺族は、自殺の原因は「動燃に嘘の記者会見を強要されたためである」として、損害賠償請求訴訟を起こしたが、2012年1月31日付けで敗訴が決定した。
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