自殺に関しての異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:13 UTC 版)
兼続の自殺説は後代に書かれた地元郷土史などで見られる話であり、肝付氏側の史料には「兼続が自殺した」と明言した物はなく、自殺を否定する説も有力である。実際、居城を落とされたとしても当時の肝付氏の勢力は島津氏に劣らないものであり、それが原因で自殺するとは考えにくい。島津氏の史料にも自殺したとの記述は見られない。 表 話 編 歴 大隅肝付氏16代当主(1533年 - 1553年)兼俊 - 兼経 - 兼益 - 兼員 - 兼石 - 兼藤 - 兼尚 - 兼重 - 秋兼 - 兼氏 - 兼元 - 兼忠 - 兼連 - 兼久 - 兼興 - 兼続 - 良兼 - 兼亮 - 兼護 - 兼幸 - 兼康 - 兼親 - 年兼 - 経験 - 治兼 - 兼群 - 兼命 - 兼明 - 兼施 - 兼寛 - 兼亮 - 兼冬 - 兼遠 -
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