被害拡大の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 23:35 UTC 版)
被災した63系電車は、重要な安全部品を省略したり粗悪な代用品を使用した、いわゆる戦時設計により製造された車両であった。可燃性材料の多さについては戦前期の電車にも共通する部分があるものの、63系では可燃性の塗料やベニヤ板の天井内張りなど燃焼性の高い材料が多用されており、不燃構造は戦前車よりも劣るものであった。[要出典] さらにモハ63形は、一般的に絶縁被覆と防護鋼管で覆われているべき室外配線を、棚状の構造物の上に、所々を縛った形で並べるなど、電気配線の構造上の問題や、当時の絶縁被覆が良質なものでない電線を使用した状態が、いずれもそのまま放置されている構造であり、その上電流短絡事故の際に必要な保安機器の一部も省略されていた。そのため、車体に架線の電流が流れ、火花が発生するなどした場合に炎上し易い構造であった。関連して、本事故が発生する以前から、モハ63形に限らず、この時期の電車全般は、外的要因(本事故では架線切断)がなくとも、小規模な発煙・発火事故を日常的に起こしており、ひどい場合は全焼して事故廃車となるものさえあった。 また、窓については63系では立ち客への通風の改善とガラス不足を補うべく三段式になっており、中段が固定されている構造のために脱出が不可能であった。63系より前の車両のように二段式であったなら、あるいは三段式であっても中段も可動する構造になっていたならば、開口部が大きいため脱出が可能であり、犠牲者数は激減したであろうといわれている[誰によって?]。乗降扉についても、1946年(昭和21年)6月4日に発生した中央線乗客転落事故の反省より木製扉から鋼製扉への交換、および新製時からの採用が進行していたことが、ドアコック表示不備と相まって結果として裏目となった。本事故のモハ63756号も鋼製ドアを装備していた。 同じく、車両の妻面にある貫通扉も、引き戸ではなく内側に開く構造であった。もともと当時、近距離輸送手段であった「電車」には、客車のような幌つきの貫通路は設置されておらず、乗客がここを通ることは想定されていなかった。そのため、超満員の乗客の圧力で扉を開けることができず、ここからの脱出も不可能であった。 地上側の要因として、鶴見饋電区分所(当時の名称は鶴見キ電室)が即座に饋電停止しなかった点が挙げられる。現場に一番近い横浜変電所は事故電流を検知して即座に遮断器が開放して饋電停止したが、鶴見饋電区分所の遮断器はそれより遠方のため事故電流を検出できず、川崎変電所からの饋電が継続され続けた。本来、横浜変電所の遮断器が開放すれば遠方からの饋電は行われないはずであるが、この事故の前に起きた汐留変電所(現在の新橋変電所)の火災復旧のため遮断器4機のうち2機が取り外されており、饋電回路がT形となっていたため、川崎変電所からの電流を止めることができなかった。当時の変電所は連絡遮断装置や遠方制御装置がなく有人運転であり、事故時の隣接変電所の遮断は電話連絡に頼っていた。このことが契機となって、電流変化率を元に事故電流を検出する直流饋電線故障選択装置が開発された。 なお、事故に対する直接・間接の要因ではないが、当時の桜木町駅が終着駅でホームの先端に改札口があったことから、乗客が先頭車両に集中していたことも犠牲者が多くなった一因であった。
※この「被害拡大の原因」の解説は、「桜木町事故」の解説の一部です。
「被害拡大の原因」を含む「桜木町事故」の記事については、「桜木町事故」の概要を参照ください。
被害拡大の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 22:14 UTC 版)
「イタリア中部地震 (2016年8月)」の記事における「被害拡大の原因」の解説
アメリカ地質調査所 (USGS)は被災地域にある建造物に耐震性の強弱のある建物が混在していたことが大きな人的・物的被害に繋がった原因となった可能性を示唆した。 イタリアでは1970年代より耐震に関する法整備が始まり、2000年代以降には本格的な耐震基準が定められたものの、適用対象は新築建造物のみであり古い建造物の耐震化が大きな課題となっていた。2008年の民間調査によれば国内中部では全体の14%しか耐震基準を満たしていなかった。 また国土内には歴史的建造物が多く、歴史的建造物の保全に関する各種制度なども耐震化対策の施工を躊躇わせる原因のひとつとなっている。 そして、イタリア政府がヨーロッパ最大規模の債務問題に直面しており、それによって民間セクターに奨励策を示唆したり、あらゆる公共建造物に安全対策を施すに必要な投資を行う余裕がないことも指摘されている。 倒壊・損壊した建造物115軒の一部に工費節約のためセメントより砂を多く使用し、建造コストを下げて建てられた手抜き工事の疑いがあるとして、地元の検察当局が過失致死の疑いとして関係者の法的責任追及を視野に入れて捜査を進める考えを示している。 また、最も被害が大きかった街であるアマトリーチェの建物に占めるRC造(鉄筋コンクリート造り)の建造物の割合はわずか9%であり、半壊または全壊の主な原因は、壁と壁の結合の不足、壁と床の不十分な連結、質の悪い組積造建造物といった、脆弱性因子が存在していたことにある。 地震の切迫性を住民に通知しなかった当局についても過失を非難する声が上がっている。
※この「被害拡大の原因」の解説は、「イタリア中部地震 (2016年8月)」の解説の一部です。
「被害拡大の原因」を含む「イタリア中部地震 (2016年8月)」の記事については、「イタリア中部地震 (2016年8月)」の概要を参照ください。
被害拡大の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 22:49 UTC 版)
伊勢湾台風は進路予想もかなり正確であり、早い時期から上陸が確実視され、充分な災害対策を講じる余裕があったにも関わらず、空前規模の大被害が発生した。 特に顕著であったのは高潮の被害であった。台風の勢力が衰えず、熊野灘から知多湾・三河湾・伊勢湾では台風が西側を北上して非常に強い南寄りの暴風が持続する状況となり、各地の気象官署で過去の記録を更新、最低気圧の記録も同様であった。この強い風による吹き寄せと低気圧による吸い上げの効果により高潮が起こり、満潮時を外れていたにもかかわらず、名古屋港では海水位が平均海面上3.89メートル(うち気象潮は3.45メートルで、それまでの最高であった室戸台風の3.1メートルを上回った)、工事基準面からの高さは5.31メートルに及ぶ、観測史上最高水位を記録した。名古屋地方気象台では、高潮警報は出したものの潮位は2メートル程度と予想していた。この記録破りの高潮に対し、伊勢湾奥の海岸堤防の高さは3.38メートルしかなく、また名古屋市周辺では急速な工業発展に伴う地下水のくみ上げで地盤沈下が激しく、高潮に対して非常に脆弱な土地が広がり、そこに無計画に市街化が進んでいたことも被害を拡大した。名古屋市南部を含む伊勢湾岸に多い干拓地の被害も激甚で、鍋田干拓地では堤防のほとんどが破壊され、住宅地と耕地は全滅、318人の在住者のうち、133名が犠牲となった。 伊勢湾台風の高潮が記録的であったのは、台風の勢力が強大で猛烈な吸い上げ効果があったことと、伊勢湾が奥行き深く遠浅でその影響を受けやすかったことによる。また、地形が高潮や津波が河川遡上しやすい構造となっているため、河川堤防も決壊した。台風襲来時が満潮(さらに大潮)と重なったためであるという話があるが、当日は少なくとも大潮ではなく、上陸時間ともずれがある。風向きと、高潮が押し寄せる方角が同じであったことから、暴風によって、陸地に押し寄せる高潮を加速させた。台風による大雨も高潮による陸地部分の浸水の深さを増すことになった。名古屋港は、外洋への出口が狭いことと、(増水した水が港へ流れ込む)河川・河口部が多いことから降水単独による潮位上昇も起きやすい傾向にある。 このような高潮で最も多くの人命が失われたのは飛島村・名古屋市南西部の南区や港区であるが、これには名古屋港の貯木場(現在の白鳥公園付近にあった)から流出した20万トンに及ぶラワン材などによるところが大きい。直径1メートル、長さ10メートル、重量7 - 8トンにもなる木材の大群が高潮に乗って住宅地を破壊したものである。高波と風の勢いでこの巨大な木材が縦に転がったという目撃談もある。南区ではおよそ1,500人の犠牲者の大部分がこうした流木によると推定されている。さらに流木によって倒壊した家屋が流されて他の家屋に衝突する場合もあった。 また当時、行政側の効果的な避難誘導や防災体制が不十分だったため、住民の台風災害に対する認識が希薄だった。行政による避難勧告も実施されなかった地域も珍しくなく、自分たちが近くに高台もなく海抜高度の低い危険地帯に住んでいることを知らないまま被災・死亡した住民も多かった。台風の接近により停電となったことも、当時重要な情報源だったラジオが使えなくなり(乾電池を電源とする携帯式のトランジスタラジオは開発されてまもなく、しかも高価だったため普及していなかった)、結果として避難の機会を失う一因となった。 加えて、伊勢湾台風襲来の約1ヶ月前にも、山梨県や長野県、静岡県などでは台風7号の影響で大きな被害が出ており、被災地では復興がままならない状況の中、さらに勢力の強い台風15号の直撃を受けたため、被害がさらに拡大する結果に至ってしまった。 その一方で、安政東海地震での津波からの復興に伴い沿岸部からの集団移転が行われた愛知県豊橋市一帯では被害が軽減され、三重県三重郡楠町(現:四日市市)や愛知県碧南市の碧南干拓地(現:川口町)では日没前には住民の避難を完了したことにより、1人の犠牲者も出さなかった。
※この「被害拡大の原因」の解説は、「伊勢湾台風」の解説の一部です。
「被害拡大の原因」を含む「伊勢湾台風」の記事については、「伊勢湾台風」の概要を参照ください。
- 被害拡大の原因のページへのリンク