綱取り、横綱として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:28 UTC 版)
7月場所では6場所連続休場明けの白鵬と共に絶好調で、初日から13連勝とし、13日目終了時点で優勝次点以上の成績が確定。伊勢ヶ濱審判部長から昇進条件を達成したとの見解が示され、史上初の序二段陥落からの横綱昇進を決定的なものとした。さらに14日目も勝利を収め、千秋楽では白鵬との全勝対決に臨むこととなったが、白鵬に敗れ初黒星となり14勝1敗で3連覇を逃した。白鵬との結びの一番を振り返り「見ている通り自分が弱かっただけ」と話したが、審判部が打ち出し後、八角理事長に横綱昇進を審議する臨時理事会の開催を要請した。千秋楽翌日の7月19日に開かれた横綱審議委員会の定例会合で照ノ富士の横綱推薦が委員の満場一致で決定。事実上、横綱昇進が決定した。モンゴル出身としては2014年の鶴竜以来、7年ぶり5人目の横綱誕生であり、外国出身としては7人目で、大関陥落経験者の横綱昇進は1979年7月場所後の三重ノ海剛司以来42年ぶり2人目となる。2021年7月21日、第73代横綱昇進を決定した。新横綱は令和では初めてとなり、平成生まれでも初の横綱となった。 照ノ富士は昇進伝達式において「謹んでお受けいたします。不動心を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます」と口上を述べた。また、土俵入りは師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)と同じ不知火(しらぬい)型を選んだことを明らかにした。 2021年8月4日付の官報に於いて照ノ富士の日本国籍取得が告示された。外国出身横綱の日本国籍取得は、アメリカ出身の曙と武蔵丸、モンゴル出身の白鵬と鶴竜に続き5人目となる。同日の電話取材に対し、名字は師匠の伊勢ケ浜と同じ「杉野森」であることを公表したが、名前については当初「親方とおかみさんと相談して決めた名前がありますので。国籍の関係のことで自分は分からないので。先に自分の口から言ってもという感じですね」と話し、明らかにはしなかった。27日、下の名前が「正山(せいざん)」であることを明かした。伊勢ヶ濱は、「正」はおかみの淳子夫人が同親方の本名からもらってはどうかと提案したといい、「山」については「私事でいろいろな思いがあるので」と言い、明かさなかった。 綱打ち・土俵入りの練習についての報道は、うっかりすると見落とすほど小さな扱いと伝わる。19日、芝田山広報部長は23日に予定されていた明治神宮での奉納土俵入りを、新型コロナウイルスの影響により延期することを発表した。24日、横綱推挙式と奉納土俵入りが明治神宮で無観客にて行われ、日本相撲協会公式YouTubeチャンネルで視聴者が照ノ富士の土俵入りを見守った。露払いは照強、太刀持ちは宝富士が務めた。この時、三つ揃えの化粧廻しは伊勢ヶ濱が現役時代に使用し、かつて部屋の先輩横綱の日馬富士も使用していたものを使用した。伊勢ヶ濱はこの日の土俵入りを「67点くらい(笑)」「はは、体が大きいし、横綱土俵入りが似合いますね」と評した。9月場所前の番付発表会見では同じモンゴル出身の先輩横綱・白鵬に「勝って恩返ししたい」と特別な思いを示した。伝達式の口上として使った「品格」という言葉については「品格は自分の生き方で証明していきたい」と答えた。 新横綱として迎えた9月場所初日の横綱土俵入りを見た八角理事長は「落ち着いていました。優勝や優勝争いをしてきて、先場所も優勝決定戦のようなもの。相撲の自信が(そのまま土俵入りにも)表れている」「堂々としていた」と評した。花田虎上は「本来は、もう少しゆっくりせり上がるところですが、毎日やれば相当の負担になるから、そこは大目に見てもいいと思います」とコメント。この場所は13日目の取組後に八角理事長が疲労や膝の故障の影響を察知する事態となったが、最終的には13勝2敗で自身2場所ぶり5度目の幕内最高優勝を果たし、優勝インタビューでは「取組前に1差で迫っていた妙義龍が敗れた時は」と聞かれた際に「最悪3番でも相撲とる気持ちでいました。できることをやったと思います」と答えた。優勝に際し、年内にも第1子が誕生予定であることが明かされた。優勝一夜明け会見では、白鵬の引退報道に対して「まだ(報道を)見ていないので」と言及を避けた。 横綱審議委員会は場所後の9月27日夕に行われたの定例会で八角理事長から9月場所での力士たちの戦いぶりなどについて報告を受け、定例会後に記者会見した矢野弘典委員長は照ノ富士について「新横綱として立派に土俵を務め、しかも優勝、日頃の心がけが実ったと高く評価できる。品格と強さ併せ持つ横綱として精進し、土俵の内、外問わず、模範となる力士になってほしい」「たいへん強い決意と深い思いを抱いて横綱になった人。序二段から戻って想像の出来ない苦労があったと思う。不屈の精神、我慢、努力、忍耐を経てきたと思う」と新横綱での優勝を称え、これまでの精進ぶりについて高く評価した。 11月場所は横綱在位2場所目にして東横綱(1人横綱)となった。番付上の1人横綱は7月場所の白鵬以来で、史上10人目(白鵬が2度あるため、のべ11人目)となった。この場所は2日目に、先場所に自身初となる金星配給を許した相手である大栄翔に掬い投げで勝利し、自身初となる幕内での九州場所の連勝スタートを切った。対戦時には「特に自分の相撲を取りきることしか考えていなかった。ずっと一つのことやってきてますから、それを貫いてやるだけ」と雑念は捨てていた。その後も白星を重ねて4場所連続となる中日勝ち越しを決めると、10日目にそれまで全勝で並んでいた貴景勝が1敗に後退し、自身がこの日に勝利したことで単独トップとなった。その後も全勝を守り、14日目に1人1敗で追う平幕の阿炎との対戦が組まれ、勝てば優勝が確定する状況となった。翌14日目の阿炎戦では押し倒しで勝利し、初日から14連勝として2場所連続6回目の優勝を決めた。新横綱場所からの連覇は1962年1月場所の大鵬以来59年ぶり史上2人目、千秋楽を待たずして優勝を決めるのは自身初となった。優勝インタビューでは「基本的に毎場所違う感じがあるのでその中でやることは変わらない。一生懸命やるだけ。ちゃんと、一日一番っていう気持ちで、全部受けて立つ気持ちでやりました」とコメント。翌日千秋楽で貴景勝に押し出しで勝利して29歳最後の日、令和3年最後の一番で全勝優勝(平成生まれ初の全勝優勝)を果たした。千秋楽のNHKアナウンサーの佐藤洋之による優勝インタビューで佐藤は「30歳はどういう相撲にしたいですか?」と聞くと照ノ富士は「先のことを考えてもしょうがない、できることをやるだけです」とコメント、更に佐藤は「聞き方を変えて令和4年はどういう相撲にしたいですか?」と聞くと照ノ富士は「2ケタ優勝を目指します」とコメントした。一夜明け会見では「やり遂げた後の気持ちよさを味わいたいから、普段から自分に厳しくやってきたのがよかった」と心境を語り、この場所初顔の阿炎との対戦に臨んだ気持ちを「突き押しがどんなものか。久しぶりに相撲を取ってみたいという気持ちになった」と余裕十分に振り返った。29日の横審の定例会合で矢野弘典委員長が「横綱らしい相撲を展開した。日頃の精進が実ったのではないかと思う。相当、強い自覚を持っていると感じている。強いだけではなく品格も含めて相撲界のリーダーになってほしい」と期待を込めた。一方で矢野委員長は「追い掛ける方が、もう一つだった。これから伸びていく力士たちには、もっと強くなってほしい」と注文を付けた。8代尾車は「この1年を振り返ってみると、白鵬の引退という大きなことがあった。その中でも照ノ富士は着々と復活し、相撲内容が変わり、飛躍の年になった。今場所も一人横綱で土俵を守ってくれた。もし彼の復活がなかったらと思うと、ぞっとする」と場所後に2021年の大相撲を振り返っていた。12月24日の、2022年1月場所番付発表会見では「今年の勢いを来年でも保つように」とコメント。この場所は優勝すれば1919年5月場所の栃木山以来103年ぶりとなる新横綱からの3場所連続優勝となることから報道でも注目を浴びた。2022年1月場所では6日目に平幕の玉鷲に敗れ前年9月場所13日目より続いていた連勝記録が23でストップした。その後は9日目まで全勝の関脇御嶽海を星一つの差で追いかけ、10日目に御嶽海が敗れ一敗で並走となった。12日目には御嶽海が敗れたことにより一時的に単独トップに立ったが自身も小結明生に敗れたことにより、二敗で追走していた平幕の阿炎と並んで3人が優勝争いのトップとなる展開となった。14日目には13日目に三敗へ後退した阿炎に敗れ三敗となり御嶽海に単独トップを許した。千秋楽では勝てば幕内では1996年11月場所以来となる優勝決定巴戦に出場という大きな一番となったが、御嶽海に敗れてしまい優勝を逃した。2022年3月場所では初日に新三役・新小結の豊昇龍を下し力の差を見せつけるも5日目まで終えて3勝2敗、6日目より途中休場となった。休場中は自身として初めて客目線になって相撲観戦に没頭し、ずっと気を張っていた中での休養であったためリフレッシュできたとのこと。 5月場所前の合同稽古は最終日の4月24日のみ参加したが、稽古中に左足を気にするそぶりを見せた。5月6日、野見宿禰神社で奉納土俵入りを行った。本来は横綱昇進後の最初の東京場所前に奉納土俵入りを行うが、新型コロナウイルス感染拡大の影響によりこの5月場所前となった。師匠でもある伊勢ヶ濱審判部長は、照ノ富士について「先場所の場所前よりはいい気がしますね。とりあえず相撲を取れる状態になった。元々、爆弾を抱えている。普段通りやるしかない」と話した。
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