綱吉の将軍就任と吉保とは? わかりやすく解説

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綱吉の将軍就任と吉保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:01 UTC 版)

柳沢吉保」の記事における「綱吉の将軍就任と吉保」の解説

延宝8年1680年)、館林藩主の綱吉が兄である4代将軍徳川家綱将軍後継として江戸城に入ると、綱吉家臣である吉保も幕臣となる。同年11月3日に吉保は小納戸役に任ぜられる。 天和元年1681年4月25日には300石を加増され、830石となる。同年6月3日に吉保は綱吉学問上弟子となり、7月11日には江戸市ヶ谷から愛宕下に居を移す。同年12月20日には生母の了本院江戸へ引き取っている。 天和2年1682年4月21日には従六位下となり、布衣許されている。天和3年1683年1月11日には200石を加増されて1030石となる。同年6月25日には、義兄の信花が江戸城西の丸前において高橋大夫喧嘩し殺害される事件起きている。 貞享元年1684年8月21日には邸を江戸愛宕下から西の丸邸へ移転する貞享2年1685年12月10日には従五位下出羽守叙任している。貞享3年1686年1月11日には1000石を加増され、2030石となる。 吉保の生母・了本院侍女としてつき従っていた飯塚染子は貞享2年1686年)頃に吉保の側室となり、貞享4年1687年9月3日には吉保の嫡男吉里生んでいる。同年9月18日には父の安忠が死去する元禄元年1688年6月10日西の丸下から一橋内の屋敷に移る。同年11月12日小納戸上席より将軍親政のために新設され側用人就任する禄高1万2000石とされて大名昇る廃城となっていた上総国佐貫城封じられる。翌元禄2年には一橋内から神田橋内に居を移し霊岸島にも中屋敷拝領する元禄3年1690年3月26日2万石を加増され、同年12月25日従四位下に昇叙する。出羽守如元。元禄4年1691年2月3日常盤橋内に屋敷拝領し同年3月22日将軍綱吉柳沢邸に御成を行う。以来綱吉58回に及ぶ吉保邸への御成行なっている。一方で吉保自身江戸城連夜詰め下城して屋敷で休むようになっても、雷雨夜に嫌いの綱吉案じて登城するなど忠勤励んだ(ただし綱吉発した生類憐みの令』は綱吉没後ただちに廃止している)。 元禄5年1692年11月14日に3万石加増される。元禄7年1694年1月7日石高72000石とされ、武蔵国川越藩埼玉県川越市)の藩主となる。同年12月9日には老中格侍従兼帯する。同11年1698年7月21日大老が任ぜられる左近衛権少将転任する。出羽守如元。元禄7年1694年1月7日1万石を加増され、川越城拝領する同年3月11日常盤橋内の隣地屋敷拝領する。翌元禄8年4月21日駒込染井前田綱紀加賀藩主)旧邸を拝領し、後にこれが六義園となる。 元禄10年1697年7月1日には、綱吉から徳川将軍家菩提寺である寛永寺東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の惣奉行命じられる寛永寺根本中堂元禄11年1698年8月2日落成し、吉保は8月9日日光輪王寺宮公弁法親王屋敷招き7月21日には根本中堂造営功績により左近衛権少将叙任され席次老中の上となった8月11日には勅使迎えて根本中堂の上棟式を行っている。 元禄13年1700年)から翌元禄14年にかけて、吉保は武田信玄次男・龍芳(海野信親の子とされる武田信興将軍綱吉に引きあわせ高家武田家創設尽力する高家武田家柳沢家から何度養子迎えている。 元禄14年1701年11月26日吉里とともに将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱与えられ松平吉保と名乗る同時に出羽守から美濃守遷任した。翌元禄15年7月12日、吉保邸が火災遭い家財焼失し、吉保自身家臣薮田重守邸に避難する。翌元禄16年8月26日幕府奥絵師狩野常信肖像を描かせ、自賛記している。

※この「綱吉の将軍就任と吉保」の解説は、「柳沢吉保」の解説の一部です。
「綱吉の将軍就任と吉保」を含む「柳沢吉保」の記事については、「柳沢吉保」の概要を参照ください。

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