日本資本参加
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2013年7月に日本のANAホールディングス(ANA HD)がフィリピン航空との航空運送事業を巡る提携に向け交渉中だと明らかにし、同航空の主要株主であるサンミゲル・グループもフィリピン証券取引所の情報開示リリースで、ANA HDと提携交渉している事実を明らかにしたが、2014年1月23日の発表によると、ANA HDによる同航空への出資や提携交渉が難航しており、コードシェア提携のみとなる可能性が高いとされていたが、最終的には2014年10月1日にANA HDの傘下である全日本空輸が同航空とコードシェア提携およびマイレージ提携を実施することを発表した。同年10月26日よりANA運航の成田・羽田-マニラ線と国内線の19路線、PAL運航の成田・羽田・中部・関西・福岡-マニラ線とフィリピン国内線の10路線がコードシェアの対象となり、ANA・PAL間でのスルーチェックインも可能となる。 2014年2月27日 - 週4便で運航していたクアラルンプール線を、営業上の理由により就航から10か月で運休。それに先んじて2014年1月12日には、PAL Expressもクアラルンプール路線の運航を終了。 3月1日〜30日 - 路線合理化の一環で、3月中にセブとビサヤ、ミンダナオの10空港を結ぶ路線が運休に。日付は路線により異なる。さらに、イロイロ−ジェネラルサントス、ダバオ−サンボアンガ、サンボアンガ−ホロ、サンボアンガ−タウイタウイの各路線も運休。 3月30日 - 東京成田、大阪、福岡、名古屋に次ぐ日本5番目のゲートウェイとして、東京都心に近い羽田空港に就航。1日2便体制で運航開始。 5月3日 - 4月10日に米国連邦航空局(FAA)がフィリピンをカテゴリ1の評価に引き上げたことに続いて、新しいボーイング777-300 ERを米国西海岸行きの太平洋横断路線に投入開始。長年使用していたフラッグシップ機、ボーイング747-400型機は段階的に引退。B777-300は2014年5月3日にロサンゼルス、5月9日にサンフランシスコへの初飛行を完了。 5月12日 - 35年間にわたりPALのフラッグシップ機として活躍したボーイング747が、パサイシティのヴィラモール空軍基地で開かれた式典で正式に引退。4機のB747-400は今後4か月の間に順次退役。象徴的な「ジャンボジェット」の最後の商業飛行は、2014年8月29日の夜遅く、乗客285名を乗せてサンフランシスコからマニラに向けて飛び立ったPR105。2014年9月1日の午前3時30分にマニラに到着すると、放水銃で水を浴びせて歓迎し、フィリピン航空の思い出に残る一時代の終わりを告げる出来事となった。 7月9日 - アブダビを拠点とするアラブ首長国連邦のフラッグキャリア、エティハド航空とPALは、コードシェアフライト、ロイヤリティプログラム、空港ラウンジの利用、共同セールスおよびマーケティングプログラム、フィリピン国内エアパス、貨物、マニラとアブダビの空港オペレーションの調整をカバーする広範な戦略的パートナーシップを提携。 8月15-17日 - リビア内戦を逃れフィリピンに戻る774名のフィリピン人労働者を輸送するためにフィリピン政府がチャーターしたマルタへの特別フライト2機を配備。8月15日、ボーイング747-400型機を利用したPR 9908はマニラを午後4時に出発。その後エアバスA330を使用したPR9906が午後6時40分に出発。マルタでフィリピン人海外就労者を乗せ、B747-400は419名の乗客とともに8月16日の深夜前にマニラに到着。A330-300は355名の労働者を乗せ、8月17日午前3時40分にマニラに到着。8月20日には3本目のチャーター便を運航し、チュニスで400名のフィリピン人海外就労者を乗せて、8月21日23時にマニラに帰着。 9月8日 - PALの2大株主、ルシオ・タン・グループとサンミゲル社は、一定の条件を満たすことを条件として、サンミゲル社がLTグループにその株式の49%を売却する契約を締結。 9月15日 - サンミゲル社との契約に基づいて支払いを実行した後、ルシオ・タングループが正式にPALの経営権を掌握。日常業務を監督するジェネラルマネージャーにはPAL前社長のハイメ・J・バウティスタを任命。ラモン・S・アンは、約1か月後とみられる契約締結日まで社長に留任。 10月17日 - ルシオ・タングループは、その全額出資会社Buona Sorte Holdings Inc.とHorizon Global Investments Ltd.を通じて、Trustmark Holdings Corp.トラストマーク・ホールディングスのサン・ミゲル・エクイティインベストメンツ社の49%の株式を、それぞれ9%と40%を取得。今度はフィリピン航空(株)の98.27パーセントを所有しているPALホールディングス株式会社の発行済み株式の89.78パーセントを所有。 10月23日 - PALの取締役会は、辞職するラモン・S・アンの公認として、ジェネラルマネージャーのハイメ・J・バウティスタをフィリピン航空の社長兼最高執行責任者(COO)として選出。取締役会も再編成され、副会長にジョセフ・T・チュア、事務部長にフローレンティーノ・M・ヘレラ III、メンバーにカルメン・K・タン、ハインリッヒ・T・クー、マヌエル・M・ラザロ、ヨニップ・G・クアが就任。彼らは現職の取締役会メンバー、ルシオ・K・タン Jr.、マイケル・G・タン、ワシントン・シシップ、アルベルト・D・リナ、エステリト・メンドーサ、アントニーノ・アリンドガン、グレゴリオ・T・ユと共に取締役会のメンバーとなる。Dr. ルシオ・C・タンはPALの会長兼最高経営責任者に留任。 10月26日 - 日本最大の航空会社全日本空輸と商業的パートナーシップを結ぶ。フィリピン−日本間のコードシェア便、ロイヤルティプログラム、空港ラウンジ、共同セールスおよびマーケティングプログラム、空港オペレーションの調整が対象。ANAが1日2便運航するマニラ−東京羽田間のフライト、および日本の一部国内線区間でPALとのコードシェアを実施。一方、日本の5都市とマニラおよびセブを結ぶPALのフライト、およびフィリピン国内の10路線でANAとのコードシェアを実施。 12月19-20日 - 日本中部の2都市とセブを結ぶ新規路線を開設し、日本路線を拡大。12月19日から大阪に週4便(エアバスA321)、12月20日から名古屋に週3便(エアバスA321)乗り入れ開始。 2015年1月17-19日 - PALは、ローマ教皇フランシスコのフィリピン訪問中に、ローマカトリック教会の指導者ローマ教皇のオフィシャル航空会社として、「Shepherd One」としての役割を再現。1月17日、ローマ教皇フランシスコは、2013年11月の超巨大台風ヨランダの生存者の慰問に訪れたタクロバンへの往復でPALのA320ジェット機に搭乗。1月19日、教皇が5日間の訪問を終え、ローマに戻る際にPALのA340-300に搭乗。PALの社長ハイメ・J・バウティスタも15時間の直行便に同乗し法王に随行。 2月10日 - カナダ第2の航空会社、ウェストジェットが運航するカナダの国内線の一部でコードシェアを開始。これらのフライトはカナダ国内のPALの2つの就航都市、西海岸のバンクーバーと東海岸のトロントから出発。バンクーバーとカルガリー、エドモントン、ウィニペグとトロント間のウェストジェットのフライトが対象。トロントからは、ウェストジェットのモントリオールおよびオタワ行きの一部のフライトでPALとのコードシェアを開始。 3月15日 - 創立74周年の記念日に、18年ぶりにニューヨーク線を再開。マニラ発バンクーバー経由ジョン・F・ケネディ国際空港へ週4便を運航開始。PALネットワークの中でも最長ルート(14,501キロ)となるこの路線には、エアバスA340-300型機を投入。初便には会長ルシオ・C・タン、社長ハイメ・J・バウティスタが搭乗し、米国東海岸のフィリピン人コミュニティに歓迎を受ける。ニューヨークはPALにとって米国で5番目の就航都市。 3月20日 - ボンバルディアQ300ターボプロップ航空機を使用して、マニラ−ロンブロン州タブラス間に週3便で運航を開始。この路線には1956年に初就航したが、1990年代後半にフォッカー50が引退するのに伴い、路線も運休になっていた。 3月29日 - セブからビサヤ諸島とミンダナオ島の6都市へのフライトを再開:バコロド、ブトゥアン、カガヤンデオロ、ダバオ、イロイロ、タクロバン。ジェネラルサントス−イロイロ、サンボアンガ−ダバオ路線も再開。すべてのフライトにエアバスA320を使用。 4月15日 - 2014年の合計包括利益2,040万ドルを計上。4年間で同社初。これは2013年4月から12月に受けた2億2970万ドルの損失から大幅に回復。(2013年中に会計期間を連結会計年度から暦年基準に変更したため、9か月という短期間になっている)。利益は旅客および貨物の好調なオペレーションに支えられ、燃油価格の緩和の影響も受けている。 4月25日 - ほとんどの中国系フィリピン人の祖先の故郷である中国福建省泉州行き週3便を開設。この路線にはエアバスA320を投入。 5月4日 - 2015年第1四半期(1月-3月)には合計包括利益8,500万ドルを計上し、財政が好転を続ける。これは2014年同期間に受けた2,070万ドルの損失を覆すもの。利益増加は旅客輸送の増加に起因。国内線、国際線の新路線の開設、および積極的な営業キャンペーンが功を奏した。 2016年に設立75周年を迎え、2020年代にイギリス航空リサーチ会社スカイトラックスの5つ星評価獲得を目指す方針を打ち出し、新たなブランド・フィロソフィは「Heart of the Filipino(フィリピンの心)」とし、ナショナル・フラッグ・キャリアのブランドと強みを活かしつつ、心から暖かいおもてなし、安全性とサービスに誇りを持ち、運営するとし、特にサービス面では顧客の期待を超えるサービスを目指すとした。また新たな就航地としてサイパンに6月15日から就航し、北米のノンストップ運航と欧州の新規就航を目指すとしている。 2018年2月、イギリス航空リサーチ会社スカイトラックスより4つ星評価を獲得。機内と地上でのサービスを改善したほか、新路線の開設、新機材の導入、客室乗務員などのサービス従事者の訓練などを行っており、これらの取り組みが評価された。ルシオ・タン会長兼最高経営責任者(CEO)は、「フィリピン航空にとって大きな勝利だ。」とコメントしている。2018年夏に、マニラのニノイ・アキノ国際空港第2ターミナルに1,250平方メートルの広さを誇る「マブハイラウンジ」を開設。 2019年1月29日 - ANAホールディングスはPALホールディングス発行済株式総数の9.5%を、9,500万USD(約105億円相当)で取得し、業務・資本提携強化し、取締役を派遣、コードシェアや空港業務の相互受委託の拡大を中心とした協業体制の強化しより一層強固な関係構築を発表した。
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