日本貯蓄銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:06 UTC 版)
1945年5月、以下の9つの貯蓄銀行が合併して日本貯蓄銀行が設立された。 日本貯蓄銀行は戦時体制の下、貯蓄増強といった国策を遂行するために並立する大手貯蓄銀行を強制的に統合し成立した銀行である。従って、母体行によって所在地・営業形態などは全く異なっていた。
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(旧)日本貯蓄銀行
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1922年に名古屋の系列の異なる3貯蓄銀行(愛知銀行系の丸八貯蓄銀行、伊藤銀行系の伊藤貯蓄銀行、明治銀行系の明治貯蔵銀行)が合併、丸八貯蓄銀行を存続銀行とし、銀行名を改名して成立した。当初は旧3行で役員などのバランスが取られていたが、1932年に明治銀行が破綻すると愛知銀行との関係が強まった。1941年には愛知銀行と伊藤銀行などが合併して東海銀行(後のUFJ銀行→現在の三菱UFJ銀行)となると、同行を補完する関係になった。名古屋市に本店を置き、中京圏一帯に店舗網があった。日本貯蓄銀行の名称は、1945年の国策による合併後も銀行名として引き継がれる形となったが、日本貯蓄銀行は存続銀行ではない。
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