作品をめぐる評価
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タルコフスキーの名前を世界に知らしめた記念碑的作品。1972年のカンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けた。 荒廃した宇宙ステーションを舞台に、カットが途切れず延々とカメラが回り続ける独特の映像感覚や、電子音楽で流れるバッハのコラール前奏曲(BWV639)の音楽感覚が映画評論家たちに絶賛されている。かねてより水・火などの映像の美しさで知られていたタルコフスキーによる海の描き方は、穏やかでありながら神秘的。また、タルコフスキーが生涯を通じて繰り返し愛用した人体浮遊シーンは、この映画の中でも効果的に用いられている。ストーリーは追いにくく、難解と評されることが多い。タルコフスキー監督は、後に意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている。 ポーランドの巨匠スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を原作としているが、レムの作品は「枠物語」として利用しているだけで、主題的には1975年の『鏡』にバリエーションが見てとれる。 レムの原作では、惑星ソラリスの表面全体を覆う「海」が、知性を持つ巨大な存在で、複雑な知的活動を営んでいる。人類はこの「ソラリスの海」を研究し何とか意志疎通を試みようと努めるが、何世紀ものときが経過しても、「海」は謎のままに留まり、人類とのコミュニケーションを堅く拒んでいるようにも見える。このような基本設定の上に、「ソラリスの海」上空の軌道に設置された研究用宇宙ステーションに赴任して来た科学者クリス・ケルヴィンが、驚くべき出来事に直面するというところからストーリーが始まる。 タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、レムの原作には無い、地球上での情景とエピソードが物語冒頭に置かれているし、同じく原作には全く登場しない(厳密には研究者ゲーゼが父に似ており、両者が地球上に墓場を持っていないことが作中語られている)、主人公の父親も出てくる。またタルコフスキーによる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中している。レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは、はっきりと異なる。 このために、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起きたことは有名。もともとレムは舌鋒鋭く他作家に対しても非寛容な批評を行ってきたことで知られており、独自のSF観にそぐわない自作の映画化には言いたいことがいくらでもあった。これに対して、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観に身も心も捧げている。激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたという。 レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っている。タルコフスキーの側は「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言している。 この後、タルコフスキーは『ストーカー』で再びSF作品を原作に選ぶのだが、レムとの一件に懲りた彼は原作者のストルガツキー兄弟と文通しながら「路傍のピクニック」という短編を基にしてシナリオを作成し、宇宙船もあらゆる機械類も特撮も一切無しという特異なSF映画を作り上げることになる。結局のところ、タルコフスキーはSFによる非日常的なシチュエーションに創作意欲を掻き立てられはするが、SFそのものに興味がある訳では無かった。 『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせている。 未来都市の風景として東京の首都高速道路が使われているが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可が中々下りず、来日したときには既に万博は閉会。跡地を訪ねたもののイメージ通りの撮影はできず、仕方なしに東京で撮影したとのことである。巨匠はビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の無機質な超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築では、疑いもなく日本は最先端だ」と手放しの賞賛が書き残されている。 日本初公開は1977年。かねてから親交のあった黒澤明が紹介に努めたが、SFファンなどからは酷評された。その後、各種の上映会等で徐々にタルコフスキーの理解者が増えていき、現在では名作の誉れが高い。黒澤は後に、熊井啓の手により映画化された『海は見ていた』(英題:" The sea " watches . )の脚本で、『惑星ソラリス』と同様に、「海」の持つ 「限りない優しさ」 を描くことになる。 黒澤とタルコフスキーは、酒が入ると、ともに『七人の侍』のテーマを合唱するなど、肝胆相照らす仲だった。
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作品をめぐる評価
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「ルイス・ブニュエル」の記事における「作品をめぐる評価」の解説
ブニュエルはデビュー作『アンダルシアの犬』の印象が強いためにシュルレアリスムの映画監督として扱われることが多く、彼を一貫したシュールリアリストとしてとらえる研究者もいるが実際には多種多様な映画を撮っている。ブルトンらのシュールリアリズム運動の中に熱狂的に迎え入れられた『アンダルシアの犬』と、シュールリアリスト達の後押しで運動のパトロンであったノワイエ公爵が出資した『黄金時代』の2作は間違いなくシュールリアリズム映画として今も言及される作品であるが、ブニュエルの全32作品からすればそれは一部でしかない。 もっとも、『昼顔』のラストシーンのように、リアリズムでは説明のつかない不思議なシーンがブニュエル映画には顔を出し、それが「シュールリアリズム的」と評される元ともなっている。『忘れられた人々』では「ビルの工事現場で演奏するオーケストラ」がちらりと見えるシーンを撮影しようとしたり(実際にはプロデューサーが止めさせたが)、『欲望のあいまいな対象』ではスーツを着た主人公に意味もなくズタ袋を担がせたシーンを挿入するなど、合理的な意味解釈を拒否したり、混乱させることをブニュエルは好んでいる。 合理的解釈の拒否という点での極北はメキシコ時代の傑作と言われている『皆殺しの天使』だろう。上流階級の人々が晩餐会を催すのだが、不思議なことに誰も帰ろうとしない。皆で夜を明かすのだが、誰一人としてどうしても部屋から出られないのである。そして時間だけが過ぎていくというのが物語のプロットであるが、「何故彼らは部屋から出られないのか」という疑問に一切回答は与えられないままに映画は進行する。また、「部屋から出られない」ことに何かの暗喩が込められているのではないかという詮索にも、一切の手がかりを与えない。 やはりメキシコ時代の『昇天峠』では、主人公が峠を越すバスに乗ったものの次から次へと取ってつけたような邪魔が入って、なかなか峠を越すことができない。「越すことができない峠」に何らかの比喩なり暗喩を嗅ぎ取ることも可能かもしれないが、バスへの運行妨害がひたすら続いていくそのプロセス自体を楽しむ娯楽映画と考えるのが健全に思えてくるのがこの映画の魅力である。晩年の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』にしても「なぜか食事にありつけない人たち」のエピソードが延々と続くだけなのだが、そのエピソード自体を愉しむように仕向けられる。 こうした姿勢は『ブルジョワジーの密かな愉しみ』や『自由の幻想』の中で特に貫徹されており、不可思議なエピソードが御都合主義なまでに脈絡なく続き、それぞれのシーンも時には投やりで撮影したとしか思えないほどである。例えば『自由の幻想』での「連続乱射犯の流れ弾で街路樹から落ちる鳥」のシーンでは、剥製としか見えない鳥が樹からボトっと無機質に落ちるだけである。 だが、これらとは対照的にカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』では濃密でエロチックな描写を見せ、『小間使の日記』『哀しみのトリスターナ』『ビリディアナ』、あるいはメキシコ時代の『嵐が丘』などの文芸映画では正当すぎる程の演出力を見せ付けてくれもする。『ロビンソン漂流記』、『河と死』、『それを暁と呼ぶ』は冒険映画としての面白さに満ち、『忘れられた人々』は社会主義リアリズムの傑作として評価された。さらに書けば、『グラン・カジノ』は娯楽ミュージカル映画で、メキシコでヒットを飛ばした『のんき大将』はコメディ映画、『糧なき土地』はドキュメンタリーである。また、ブニュエルの作品にはフェティシズムが色濃いことは多くの批評家から指摘されてきた。 ブニュエルの世界はかくも幅が広く、ハリウッドの映画人にも人気があった。1972年に久々にハリウッドを訪ねたブニュエルはジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコック、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、ロバート・ワイズ、フリッツ・ラングらそうそうたる人々から歓待を受けている。このとき、ヒッチコックは『哀しみのトリスターナ』で切断されたドヌーヴの脚について語り続けたという。『ジョニーは戦場へ行った』も元々はブニュエルが監督する映画として企画されたものであるし、ハリウッド系ではないが、ウディ・アレンは『アニー・ホール』のために「ルイス・ブニュエル」自身の役でブニュエルに出演を依頼したこともある。
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