作品をめぐる評価とは? わかりやすく解説

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作品をめぐる評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:08 UTC 版)

惑星ソラリス」の記事における「作品をめぐる評価」の解説

タルコフスキーの名前を世界知らしめた記念碑的作品1972年カンヌ映画祭急遽出展され審査員特別グランプリ受けた荒廃した宇宙ステーション舞台に、カット途切れず延々とカメラ回り続ける独特の映像感覚や、電子音楽流れバッハコラール前奏曲(BWV639)の音楽感覚映画評論家たちに絶賛されている。かねてより水・火などの映像美しさ知られていたタルコフスキーによる海の描き方は、穏やかでありながら神秘的また、タルコフスキー生涯通じて繰り返し愛用し人体浮遊シーンは、この映画の中で効果的に用いられている。ストーリー追いにくく、難解評されることが多い。タルコフスキー監督は、後に意図的に観客退屈させるような作風選んだ、と述べている。 ポーランド巨匠スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を原作としているが、レム作品は「枠物語」として利用しているだけで、主題的には1975年の『鏡』にバリエーション見てとれる。 レム原作では、惑星ソラリス表面全体を覆う「海」が、知性を持つ巨大な存在で、複雑な知的活動営んでいる。人類はこの「ソラリスの海」を研究し何とか意志疎通試みよう努めるが、何世紀ものときが経過しても、「海」は謎のままに留まり人類とのコミュニケーション堅く拒んでいるようにも見える。このような基本設定の上に、「ソラリスの海」上空軌道設置され研究用宇宙ステーション赴任して来た科学者クリス・ケルヴィンが、驚くべき出来事直面するというところからストーリーが始まる。 タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、レム原作には無い、地球上で情景エピソード物語冒頭置かれているし、同じく原作には全く登場しない厳密に研究者ゲーゼが父に似ており、両者地球上墓場持っていないことが作中語られている)、主人公の父親も出てくる。またタルコフスキーによる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中している。レムが、その「ソラリスが、主人公記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上大きなテーマとして、「人間と、意思疎通できない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語展開するのとは、はっきりと異なる。 このために、レムタルコフスキーとの間で大喧嘩起きたことは有名。もともとレム舌鋒鋭く作家に対しても非寛容批評行ってきたことで知られており、独自のSF観にそぐわない自作映画化には言いたいことがいくらでもあった。これに対して芸術至上主義タルコフスキー自身芸術観身も心も捧げている。激し口論の末に、レム最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞吐いたという。 レムはこの映画についてタルコフスキー作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っている。タルコフスキーの側は「ロケットだとか、宇宙ステーション内部セット作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別宣言している。 この後タルコフスキーは『ストーカー』で再びSF作品原作に選ぶのだが、レムとの一件懲りた彼は原作者ストルガツキー兄弟文通しながら「路傍のピクニック」という短編を基にしてシナリオ作成し宇宙船あらゆる機械類特撮一切無しという特異なSF映画作り上げることになる。結局のところ、タルコフスキーSFによる非日常的シチュエーション創作意欲掻き立てられはするが、SFそのもの興味がある訳では無かった。 『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』公開直後タルコフスキーは観ているが、「最新科学技術業績見せ博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて人間道徳問題忘れている」とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題解決されなければ科学進歩など意味がないという台詞スナウトに語らせている。 未来都市風景として東京首都高速道路使われているが、「タルコフスキー日記によれば、この場面日本万国博覧会会場撮影することを計画していたもの当局からの許可中々下りず、来日したときには既に万博閉会跡地訪ねたもののイメージ通り撮影はできず、仕方なしに東京撮影したとのことである。巨匠ビル街高架橋とトンネル果てしなく連続する光景無機質な超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築では、疑いもなく日本最先端だ」と手放し賞賛書き残されている。 日本初公開1977年かねてから親交のあった黒澤明紹介努めたが、SFファンなどからは酷評された。その後各種の上映会等で徐々にタルコフスキー理解者増えていき、現在では名作誉れが高い。黒澤は後に、熊井啓の手により映画化された『海は見ていた』(英題:" The sea " watches . )の脚本で、『惑星ソラリス』と同様に「海」の持つ 「限りない優しさ」 を描くことになる。 黒澤タルコフスキーは、酒が入ると、ともに『七人の侍』のテーマ合唱するなど、肝胆相照らす仲だった。

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作品をめぐる評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:13 UTC 版)

ルイス・ブニュエル」の記事における「作品をめぐる評価」の解説

ブニュエルデビュー作アンダルシアの犬』の印象強いためにシュルレアリスム映画監督として扱われることが多く、彼を一貫したシュールリアリストとしてとらえる研究者もいるが実際に多種多様な映画撮っている。ブルトンらのシュールリアリズム運動の中に熱狂的に迎え入れられた『アンダルシアの犬』と、シュールリアリスト達の後押し運動のパトロンであったノワイエ公爵出資した黄金時代』の2作は間違いなくシュールリアリズム映画として今も言及される作品であるが、ブニュエルの全32作品からすればそれは一部しかない。 もっとも、『昼顔』のラストシーンのように、リアリズムでは説明つかない不思議なシーンブニュエル映画には顔を出し、それが「シュールリアリズム的」と評されるともなっている。『忘れられた人々』では「ビル工事現場演奏するオーケストラ」がちらりと見えるシーン撮影しようとしたり(実際にプロデューサー止めさせたが)、『欲望のあいまいな対象』ではスーツ着た主人公に意味もなくズタ袋を担がせたシーン挿入するなど、合理的な意味解釈拒否したり、混乱させることをブニュエル好んでいる。 合理的解釈拒否という点での極北メキシコ時代傑作と言われている『皆殺しの天使』だろう。上流階級人々晩餐会を催すのだが、不思議なことに誰も帰ろうとしない皆で夜を明かすのだが、誰一人としてどうしても部屋から出られないのである。そして時間だけが過ぎていくというのが物語のプロットであるが、「何故彼らは部屋から出られないのか」という疑問一切回答与えられないままに映画進行するまた、部屋から出られない」ことに何かの暗喩込められているのではないかという詮索にも、一切の手がかりを与えない。 やはりメキシコ時代の『昇天峠』では、主人公峠を越すバス乗ったものの次から次へ取ってつけたような邪魔が入って、なかなか峠を越すことができない。「越すことができない峠」に何らかの比喩なり暗喩嗅ぎ取ることも可能かもしれないが、バスへの運行妨害ひたすら続いていくそのプロセス自体を楽しむ娯楽映画考えるのが健全に思えてくるのがこの映画魅力である。晩年の『ブルジョワジーの秘かな愉しみにしても「なぜか食事ありつけない人たち」のエピソード延々と続くだけなのだが、そのエピソード自体愉しむように仕向けられる。 こうした姿勢は『ブルジョワジー密かな愉しみ』や『自由の幻想』の中で特に貫徹されており、不可思議なエピソード御都合主義なまでに脈絡なく続きそれぞれのシーン時には投やりで撮影したとしか思えないほどである。例えば『自由の幻想』での「連続乱射犯の流れ弾街路樹から落ち」のシーンでは、剥製としか見えないからボトっと無機質落ちるだけである。 だが、これらとは対照的にカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』では濃密エロチック描写見せ、『小間使の日記』『哀しみのトリスターナ』『ビリディアナ』、あるいはメキシコ時代の『嵐が丘』などの文芸映画では正当すぎる程の演出力を見せ付けてくれもする。『ロビンソン漂流記』、『河と死』、『それを暁と呼ぶ』は冒険映画としての面白さ満ち、『忘れられた人々』は社会主義リアリズム傑作として評価された。さらに書けば、『グラン・カジノ』は娯楽ミュージカル映画で、メキシコヒット飛ばした『のんき大将』はコメディ映画、『糧なき土地』はドキュメンタリーである。また、ブニュエル作品にはフェティシズム色濃いことは多く批評家から指摘されてきた。 ブニュエル世界はかくも幅が広くハリウッド映画人に人気があった。1972年久々にハリウッド訪ねたブニュエルジョン・フォードアルフレッド・ヒッチコックウィリアム・ワイラービリー・ワイルダーロバート・ワイズフリッツ・ラングそうそうたる人々から歓待受けている。このとき、ヒッチコックは『哀しみのトリスターナ』で切断されドヌーヴの脚について語り続けたという。『ジョニーは戦場へ行った』も元々はブニュエル監督する映画として企画されたものであるし、ハリウッド系ではないが、ウディ・アレンは『アニー・ホール』のために「ルイス・ブニュエル自身の役でブニュエル出演依頼したこともある。

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