日本初公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 03:57 UTC 版)
「ベン・ハー (1959年の映画)」の記事における「日本初公開」の解説
1960年4月1日から東京はテアトル東京、4月15日から大阪は南街劇場でロードショー公開され、他都市も東宝洋画系で公開された。テアトル東京では翌年61年7月13日まで469日間に渡って上映され、総入場者数95万4318人、1館の興行収入3億1673万円を記録した。全国各地の上映の後に、配給収入は最終的に15億3000万円となった。 日本での一般公開は1960年4月1日だが、これに先立ち同年3月30日にはテアトル東京でチャリティ上映が行われた。このとき昭和天皇・香淳皇后が招かれ、日本映画史上初の天覧上映となった。ヘストン夫妻もこの場に立ち会っている。
※この「日本初公開」の解説は、「ベン・ハー (1959年の映画)」の解説の一部です。
「日本初公開」を含む「ベン・ハー (1959年の映画)」の記事については、「ベン・ハー (1959年の映画)」の概要を参照ください。
日本初公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 23:21 UTC 版)
「ウエスト・サイド物語 (映画)」の記事における「日本初公開」の解説
日本では1961年12月23日に丸の内ピカデリーなどの松竹洋画系で封切られて、翌々1963年5月17日まで511日にわたるロングラン上映となった。これは前年の『ベン・ハー』を凌ぐ記録で、2012年9月15日に公開された『祈り〜サムシンググレートとの対話〜』が1192日のロングラン記録を達成するまで更新されなかった。丸の内ピカデリーだけで興行収入4億4968万円を上げ、全ての上映館の最終的な配給収入は13億円の大ヒットとなった。
※この「日本初公開」の解説は、「ウエスト・サイド物語 (映画)」の解説の一部です。
「日本初公開」を含む「ウエスト・サイド物語 (映画)」の記事については、「ウエスト・サイド物語 (映画)」の概要を参照ください。
日本初公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:37 UTC 版)
1962年12月15日、東京の松竹セントラル・新宿ミラノ座・渋谷松竹・浅草大勝館、大阪の松竹座・大阪東映パラスでロードショー公開され、133日間のロングランとなった。 なおこの「史上最大の作戦」の上映にあたり、当時配給した20世紀FOX日本支社が一時東宝系の上映に傾いたことから、対抗する松竹と東急グループが業務提携して興行権を獲得し、これがキッカケで両社は1965年2月に松竹・東急チェーン(ST系)を発足させた。これは当時それまで洋画の輸入本数の制限があったのが、輸入自由化の動きで外国映画の公開本数の増加が見込まれる中で東宝洋画系(TY系)への対抗策として打ち出されたものである。
※この「日本初公開」の解説は、「史上最大の作戦」の解説の一部です。
「日本初公開」を含む「史上最大の作戦」の記事については、「史上最大の作戦」の概要を参照ください。
日本初公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 14:54 UTC 版)
『ローマの休日』の日本初公開は、1954年4月27日(東京地区)であったことになっているが、正確にはそれより6日早く、4月21日に長崎県佐世保市の「佐世保富士映画劇場」で先行して公開されている。4月23日には名古屋市の「名古屋ミリオン座」で封切られ、28日間の興行で名古屋地区洋画興行界始まって以来の大入りとなった。他の一部の地方都市でも、東京よりも早く公開されている。4月27日公開の東京の日比谷映画劇場では当初3週間の上映期間のところお客が減らずに延々と延ばされ、最終的に5週間と3日となり、開館以来の新記録を打ち立てた。大阪でも開館以来のヒットであった。最終的には1954年公開の洋画での配給収入第1位になっている。
※この「日本初公開」の解説は、「ローマの休日」の解説の一部です。
「日本初公開」を含む「ローマの休日」の記事については、「ローマの休日」の概要を参照ください。
- 日本初公開のページへのリンク