日本初ステンレスキッチン量産化に成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 00:03 UTC 版)
「柴崎勝男」の記事における「日本初ステンレスキッチン量産化に成功」の解説
ステンレスの溶接にはコストが掛かり高級品であった為、到底一般家庭の台所に使える商品ではなかった。同時にサンウェーブでは当時、工員不足が問題になっており、柴崎はボタン一つでステンレスの流し台が作れれば、コスト削減・大量生産・工員不足の解消になる思い、機械によるプレス式を考えていた。 昭和30年(1955年)、戦後の住宅難を解消するため、7月8日日本住宅公団法が成立し、同年7月25日に日本住宅公団が発足した。初代日本住宅公団総裁である加納久朗の命により当時、住宅計画部課長だった尚明・建築家の浜口ミホを中心にダイニングキッチン(ダイニングとキッチンの造語)を取り入れた住宅が誕生する運びとなった。これにより、これまでの台所にあった暗い・狭い・ジメジメしたというイメージは一変し、現代のダイニングキッチンのスタイルを確立する一歩となった。 サンウェーブも日本住宅公団に通い、自社製品の売り込みをしたが良い返事はもらえず、柴崎は三菱電機社長の高杉晋一の仲介により加納久朗総裁に直々に面会することに成功する。加納久朗は、柴崎の熱弁により、その場で「そんなに安く、しかも量産が出来るなら1万台ばかり買おうじゃありませんか」と、1万台の発注を約束する。 しかし、ここで問題があった。大量生産が出来るという見栄を張り、契約してしまったものの、実際サンウェーブでは、まだプレス式の製造には成功していなかった。納期が迫る中、技術者や工員が、工場で寝食をし研究を続けた結果、昭和31年9月21日、ついにサンウェーブは日本初のプレス加工に依る深絞りステンレス流しの製造に成功する。(同時に特許も取得)こうして記念すべきプレス式によるステンレス流し第一号(サンウェーブキッチンKJ型流し台)は昭和31年(1956年)、公団晴海団地に取り付けられた。 同時に倒産の危機も解消され、これより日本一のキッチンメーカーとして成長していくことになる。
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