日本初の鉄橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:28 UTC 版)
明治維新を迎える頃には老朽化していたため、代替となる橋を下流に新たに作る計画が立案された。1897年(明治30年)、道路橋としては日本初の鉄橋として鋼鉄製のトラス橋が、東京市側は日本橋川を挟んで対岸の現在の場所に再架橋され、それまでの旧い永代橋は廃止された。頑丈な構造から、1904年(明治37年)には東京市街鉄道(後の東京都電)による路面電車も敷設された(1972年(昭和47年)11月に廃止)。 大正期までに隅田川には5つの鉄橋が架橋されていたが、その多くが橋底の基部や橋板に木材を使用していた。このため、1923年(大正12年)の関東大震災では永代橋、厩橋、吾妻橋が炎上し、巻き込まれた避難民は多数が焼死、あるいは溺死した。両国橋、新大橋も木材を使用した構造だったが、焼失を免れて避難路として機能した。 1926年(大正15年)に震災復興事業により隅田川の9橋の再架橋が決まり、現在の橋梁が再架橋された。「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツの ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋(レマゲン鉄橋)をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100 mを超えた橋でもある。帝都復興院で橋梁を担当した田中豊、太田圓三らが技術とデザインの両立に腐心した成果であり、東京大学工学部1号館に架橋当時の永代橋のレプリカモデルが存在する。
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