日本初・世界初
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)
どの時点をもって「日本初の百貨店」が誕生したとするかは解釈が分かれるところであるが、1904年に「デパートメントストア宣言」を掲げた三越が先陣を切った草分けである説は一定の支持を得ていると考えることができる。前身の呉服商の創業時期は、名古屋で創業した松坂屋の前身の伊藤屋が1611年(慶長16年)と古く、1673年(延宝元年)創業の三越の前身の越後屋、1662年(寛文2年)創業の白木屋、1717年(享保2年)に京都で創業した、大丸の前身の大文字屋がこれに続く。株式会社としての法人化は1904年の三越が古く、1908年の大丸、1909年の高島屋、1910年の松坂屋がこれに続く。日本文学研究者の和田博文は、本店新館がオープンした1914年10月1日が日本における百貨店の誕生であり、「デパートメントストア宣言」からの10年間は試行錯誤の期間であったと記している。 三越呉服店が1899年に創刊した、日本初のPR誌である『花ごろも』は、1903年に『時好』にリニューアルし、流行を発信した。 日本の百貨店で初めて屋上庭園を計画したのは、1907年から建設された三越の仮営業所であり、噴水や温室、茶室、三囲稲荷などが設けられた。利用客の休息や話題性のみならず、屋上庭園での飲食物販売や遊技場料金などの増収ももたらし、のちに伊勢丹や白木屋なども追随する。 1914年9月の本館新築時に設置されたエスカレーターは、常設のものとしては日本初であった。アメリカのオーチス・エレベータ・カンパニー製で、斜度30度、全長17尺(約5m)、速度は毎分80尺(毎分24m)ほどで、上下に係員を配置した。輸送力を目的としたというより、来店客に新規性と消費生活の豊かさを印象付ける意図があったと考えられる。常設ではないエスカレーターは、東京の上野公園で1914年3月より開催された東京大正博覧会の会場に設置されていた。エスカレーターと同時期に設置されたエレベーターは、白木屋に次いで2例目であった。当時のエスカレーターは現存しないが、1953年に三菱電機により導入された機種は、欄干部全面に照明を仕込んで乳白色に光らせた意匠を持つ世界初のタイプである。このエスカレーターは1990年まで稼働し、当時の国内最長寿機であった。
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