第二次オンラインシステム ( - 1970年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:35 UTC 版)
「勘定系システム」の記事における「第二次オンラインシステム ( - 1970年代)」の解説
本店から支店に対してオンラインが展開される時期で、勘定処理の本格的なオンライン化が進行した。1965年5月には、三井銀行(現:三井住友銀行)で日本初(世界初)のオンライン・バンキング・システムが稼働した(1964年の東京オリンピックのオンライン化技術が転用された) 。採用されるシステムも外国製から国産のものが採用され、国産コンピュータの開発に多大な寄与があった。しかしながら、ジョブ管理や、オンライン処理などソフトウェア面の未熟さが手伝って、実際の構築ではOS開発に銀行側が直接参加するなど苦労が多く、トランザクションモニターを中心とする独自のOS開発を行った銀行も多い。 全銀ネットなどの外部ネットワークとの接続の必要性や、勘定処理とは関係しない業務処理が多数発生したため、勘定系システムとは別に外部ネットワークとの接続制御を行う対外系システムや、情報系システムが勘定系とは別に構築された。また、業態別では都市銀行から地方銀行にオンラインシステムが展開され始めた時期にも当たる。 運用面では、手狭な本店に設置されていたコンピュータが、郊外のデータセンターでの運用に切り替わり、銀行本体からシステム部門が分離され、現在の運用開発体制の基礎となった。災害対策や故障対策を兼ねて、バックアップ系の整備が図られはじめたのもこの時代で、バックアップ機の有効活用を兼ねて、システム子会社が一般企業のデータ処理業務やシステム開発にも進出していった。
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