第二次カスティーリャ継承戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:17 UTC 版)
「イサベル1世 (カスティーリャ女王)」の記事における「第二次カスティーリャ継承戦争」の解説
「第二次カスティーリャ継承戦争」も参照 その後、子宝に恵まれなかった兄王に女児フアナが生まれたが、父親が誰かという疑惑が生じ、王位継承問題が発生した。カスティーリャ貴族の一部はエンリケ4世を見限り、異母弟妹であるイサベルとアルフォンソを次の国王に据えようとした。 トラスタマラ朝の系図 アルフォンソ11世 エンリケ2世 ペドロ1世 フアン1世 コンスタンサ エンリケ3世 カタリナ (アラゴン王)フェルナンド1世 フアン2世 (アラゴン王)フアン2世 エンリケ4世 イサベル1世 フェルナンド5世 (ハプスブルク家) フアナ フアナ フェリペ1世 (アブスブルゴ朝) 1464年、アルフォンソにアストゥリアス公の称号が贈られ、さらに「国王アルフォンソ12世」として推戴する動きもあったが、一国に2人の君主がいる状況は内乱を招いた。この状態は1468年のアルフォンソの死によって終止符が打たれる。アルフォンソの支持者はイサベルを次の国王に据えようとしたが、イサベルは「兄が生きている間は他の王を戴くべきではない」と、兄の娘かどうか不明なフアナよりは自身の王位継承順が高いことを示す拒否の仕方をした。 イサベル自身もポルトガルに嫁がされようとしていたが、事前にその危険を察知し、同盟相手として必要なのはポルトガルではなく、結婚相手としてふさわしいのは地中海に領海権を持つアラゴン=カタルーニャ王国の王子フェルナンドであると結論を下した。アラゴン王家はカスティーリャと同じトラスタマラ家の同族であり、フェルナンドとイサベルはともにカスティーリャ王フアン1世を曾祖父とする又従姉弟であった。かくして2人は密かに会い、結婚して国内問題に取り組んだ。1474年にエンリケ4世が没し、イサベルは夫フェルナンドと共同で王位に就いた。 まずはカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世と戦い勝利した後、カスティーリャ領内の反イサベル派を北から南へ討伐していく。その中途の1479年、フェルナンドは父フアン2世の死去に伴いアラゴン王位を継承し、カスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生した。
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