第二次オルドス追放/ベグ=アルスラン・タイシとの抗争(1471-1472)
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「オロチュ」の記事における「第二次オルドス追放/ベグ=アルスラン・タイシとの抗争(1471-1472)」の解説
ボルフ・ジノンと同時期に、コムル方面出身のヨンシエブの首長、ベグ=アルスラン・タイシもまたオルドス地方に移住していた。当初、オロチュとベグ=アルスラン、ボルフ・ジノンは協力関係にあったもののやがて対立するようになり、ボルフ・ジノンがモンケ丞相とオロチュを殺そうとしたため、これを知ったオロチュはオルドス地方を離れざるを得なくなった。 成化7年(1471年)冬にはベグ=アルスラン・タイシはオルドス地方を掌握し、かつてのオロチュと同様に黄河の凍結を待って明朝に侵攻するようになった。一方、オロチュの勢力の残党もまたオルドス地方の外で健在であり、涼州より明朝へ侵攻していた。 翌成化8年(1472年)中、ベグ=アルスラン・タイシは元オロチュの配下を併合していったが、オロチュ自身は未だオルドス地方の外でベグ=アルスラン・タイシへの復讐を窺っていた。同年末まではベグ=アルスラン・タイシがオロチュの攻撃を警戒していたという記録が残っており、オロチュは存命していたものと見られるが、これ以後のオロチュの動向は不明である。
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