第二次オニャーテ探検隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 17:48 UTC 版)
「フアン・デ・オニャーテ」の記事における「第二次オニャーテ探検隊」の解説
オニャーテが最後に組織した大規模な探検隊は、ヌエボ・メヒコからコロラド川の下流に向けて西に旅した。およそ36名が1604年10月にリオ・グランデ河谷を出発し、ズニ(英語版)、ホピ、ビル・ウィリアムズ川(英語版)を経由してコロラド川に至り、1605年1月にカリフォルニア湾にある河口に到着し、同じルートをたどってヌエボ・メヒコに帰還した。探検の目的は、ヌエバ・エスパーニャからの陸路による運輸よりも楽にヌエボ・メヒコに物資を供給できるような港を見つけることだった。 1540年のエルナンド・デ・アラルコン(英語版)とメルチョール・ディアス(英語版)による探検と1701年から始まったエウセビオ・キノによる探検の間にコロラド川下流に入ったヨーロッパ人はオニャーテ隊だけだったため、この探検は貴重なものとなった。探検隊は、ソールトンシンク(英語版)の後すぐに形成されたとされる先史時代のカウィリャ湖(英語版)の痕跡は発見しなかった。彼らはカリフォルニア湾が北西にどこまでも広がっていると誤解し、17世紀に広く信じられていた、カリフォルニアが島であるという説の元となった。 コロラド川下流に居住していることが認められた先住民族は、北から順にモハーヴェ族(Mohave)、バアセチャ族(Bahacecha)、後にクウェチャン族(英語版)が定住したヒラ川との合流点にいたオセラ族(Osera)、そしてオニャーテはヒラ川との合流点よりも下流で遭遇したが、後にそこよりも上流の、オニャーテがコワーナ族(Coguana)またはカーワン族(Kahwans)、アガリェ族(Agalle)とアガレクァマヤ族(Agalecquamaya)またはハリイクワマイ族(Halyikwamai)、そしてココパ族(英語版)に会った場所に居住した記録のあるハルチドマ族(英語版)だった。探検隊が実際に見なかった土地については、怪物のような人種や金銀真珠が豊富な地域について空想的な報告をしている。
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