第二次オルテガ政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:24 UTC 版)
「ダニエル・オルテガ」の記事における「第二次オルテガ政権」の解説
2006年11月5日に行われた大統領選挙で当選し、2007年1月10日(現地時間)に就任。選挙前に行われた法改正(国民の過半数の信任を得なくても、第一候補であれば当選できる)と、強力なライバルであったエルティ・レウィテスの謎の急死、人工妊娠中絶容認などカトリック教会とFSLNの融和などに助けられたとはいえ、34-36%の支持率での辛勝であった。当選後は大統領官邸に居住せず、FSLN党本部から指揮を執っている。2011年11月に行われた大統領選挙でも、対立候補に大差をつけて再選を果たした。 就任後はかつてのような性急な国有化政策を行わない一方で、キューバのラウル・カストロ政権やベネズエラのウゴ・チャベス政権やボリビアのエボ・モラレス政権、エクアドルのラファエル・コレア政権などラテンアメリカ域内の左派政権や、ロシア、イランに接近している。2008年3月のコロンビアとエクアドルの対立では、ベネズエラ、エクアドルと共にコロンビアとの国交断絶を宣言し、同年8月の南オセチア紛争の際には、9月にロシアに続いて世界で二番目にアブハジアと南オセチアの主権を承認し、明確な反米色と親露路線を打ち出した。第一次オルテガ政権時代に中華人民共和国との国交樹立のために断交した中華民国(台湾)との国交はチャモロ政権で回復したが、2021年にオルテガは再び台湾と断交して中華人民共和国と国交正常化した。 2020年3月12日から同年4月にかけて、1か月以上公の場から姿を消した。折しも世界的な2019新型コロナウイルスの感染が拡大した時期であり、オルテガの妻であるムリージョ副大統領が国民に落ち着いて仕事を続けるよう呼び掛けたものの具体的な感染防止対策の公表や指示はなく、米州保健機構は同国の状況に懸念を示した。 2021年11月に行われた大統領選で、4期連続の当選を確実にした。選挙管理委員会が公表した暫定中間集票によると、獲得した投票数は75%だが、対立候補の大半が投獄されたり、亡命したりしており、アメリカは「茶番」と非難していた。
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