カスティーリャ継承戦争
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ナビゲーションに移動 検索に移動カスティーリャ継承戦争(カスティーリャけいしょうせんそう)は、中世のカスティーリャ王国で起こった王位継承戦争である。
- 第一次カスティーリャ継承戦争 - 1366年から1369年まで続いた、ペドロ1世とエンリケ2世の間の内戦。
- 第二次カスティーリャ継承戦争 - 1475年から1479年まで続いた、イサベル1世とフアナ・ラ・ベルトラネーハ支持者との間の内戦。
カスティーリャ継承戦争
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「ナヘラの戦い」の記事における「カスティーリャ継承戦争」の解説
1350年、ペドロ1世がカスティーリャ王に即位すると、異母兄で庶子のトラスタマラ伯エンリケはたびたびペドロと争い、1360年にはフランスに亡命した。ペドロは王権強化策をとり弾圧された貴族たちの間で不満が高まったため、エンリケは国外から反乱を煽動した。フランス王国、ローマ教皇庁、アラゴン王国の支援を取り付けたエンリケは1366年、ペドロを廃位して即位を宣言した。ペドロはイングランドが支配するフランス南部のアキテーヌに逃げ、ボルドーの宮廷でエドワード黒太子に助けを求めた(第一次カスティーリャ継承戦争)。
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