カスティーリャ継承戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 07:25 UTC 版)
カスティーリャ継承戦争(カスティーリャけいしょうせんそう)は、中世のカスティーリャ王国で起こった王位継承戦争である。
- 1 カスティーリャ継承戦争とは
- 2 カスティーリャ継承戦争の概要
カスティーリャ継承戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 07:33 UTC 版)
「ナヘラの戦い」の記事における「カスティーリャ継承戦争」の解説
1350年、ペドロ1世がカスティーリャ王に即位すると、異母兄で庶子のトラスタマラ伯エンリケはたびたびペドロと争い、1360年にはフランスに亡命した。ペドロは王権強化策をとり弾圧された貴族たちの間で不満が高まったため、エンリケは国外から反乱を煽動した。フランス王国、ローマ教皇庁、アラゴン王国の支援を取り付けたエンリケは1366年、ペドロを廃位して即位を宣言した。ペドロはイングランドが支配するフランス南部のアキテーヌに逃げ、ボルドーの宮廷でエドワード黒太子に助けを求めた(第一次カスティーリャ継承戦争)。
※この「カスティーリャ継承戦争」の解説は、「ナヘラの戦い」の解説の一部です。
「カスティーリャ継承戦争」を含む「ナヘラの戦い」の記事については、「ナヘラの戦い」の概要を参照ください。
- カスティーリャ継承戦争のページへのリンク